親はいつまでも「家族の要」ではない。
家族を営み、子どもに対して力を持っていたのは遠い昔の話だ。
やがて子どもは独立し、それぞれの道を歩むようになる。それぞれが「家族の要」になり、自分たちの家を支えていかなければならない。
それが毒親にはわからない。
いつまでも、かつての家族の上に君臨し続けようとする。
そうしてやがて「私をないがしろにしている」と文句を言い、「ほっとかれている」と泣き言を言い、挙句にはあること無いこと悪口を言って回るようになる。
あなたの時代はもう終わったんだよ。
後は子供たちを静かに見守るか、速やかに退場していくかしかないんだよ。
そんな気概というか、人としての強さというか、そういうものが毒親には皆無なんだ。
昔、私が我が子に「世のため人のために働くような人になってほしい」と言うのを聞いて、「なんでそんなこと思うん? 私はそんなこと思ったことがない」と言い放った毒母。
立派な人間になりたいとか、社会のために何かしたいとか、なんと言うのかなぁ…そういう「志」みたいなものがないんだよね。
それは毒母自身に対してもないし、子どもに対してもないんだよ。
刹那的というか何というか…自分に「軸」がないんだな。
「こういう風に生きていきたい」という軸がないから、その時の自分の気分で周りを振り回すんだ。
その日、その瞬間、自分の気分が良かったらそれでいいんだよね。だから毒母には成長がないし、何かを積み重ねてくってことがないんだよ。
どこまでも「自分の感情中心」なんだ。
それならそれでいいよ、でもだったら最後まで自分で自分の始末をつけてほしい。そんなときだけ子どもを頼らないでほしい。
自分がいつまでも家族の中心でいたんだろ? 力を持っていたいんだろ?
だったら弱音を吐かずに、どっしりと構えていたらどうなんだ?
力は発揮したいが頼りたいって、矛盾しているって思わないか?
あぁそうか、そういう「志」がない人だから、自分に都合よくコロコロ言うことが変わるんだよね。
年老いて尚、迷惑なところだけはパワフルだ。