毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

「男の子が欲しかったから娘が生まれてがっかりした」と娘に言う親ってどうなのよ?

 

先日実家の整理をしていると、私が小学生時代に書いた作文が出てきた。

自分の生い立ちを書くものだったらしく、

生まれた時から小学生の当時までを記していた。

 

懐かしく読んでいると「?」と思う文章があった。

 

『お父さんとお母さんは男の子がよかったので、女の子が生まれて残念だったと言っていたそうだ』

 

「これってどうよ???」である。

 

別にそう思うのはいい。

どちらが欲しいって気持ちはあるだろうし、夫婦の間の、大人の会話としては別にいいんだよ。でもね、それをそっくりそのまま娘に言うってどうなんだよ?

 

小学生の子どもが文章にするくらいだから、幼い頃から母が何度も言っていたんだと思う。大人になってからも何度も聞かされたけどね、この話。

 

『お父さんと』の部分には疑問がある。

父が息子を欲しがっていたのは事実だが、父が人前でそんなことを言うとは思えないし、生まれた子を前に「残念」などと言う人ではなかった。

 

したがってこれは、母のいつもの「余計な一言」なんだろうと思う。

 

「お父さん(私の父)が男の子をほしがってたから男の子が良かった。そしたら出産も子育ても一回で終わったのに。女の子が生まれて『また産まなあかんのか…』とうんざりしたわ」

 

そう何度も言っていた母。

 

この辺りの事を追求したなら、きっと母はこう反論しただろう。

「お父さんが『息子が欲しい』っていつも言ってたからや!」

 

そうかもしれないけど、それを当人に言ってはダメでしょ?なんだけど、その部分は「きょと~ん」で、「そう思ったから言っただけ」&「ほんとの事を言って何が悪い」となるんだよね。

 

こういう「いらぬ報告」はこの他にも色々あった。

 

私の容姿や学歴、その他諸々、母はわざわざ「○○があんたのこと△△って言ってたで」と伝えて”くれる”のだ。もちろんそれは「良い報告」ではない。

 

子どもの頃は「わざわざ伝える真意は何?」と深読みして傷ついていたが、大人になってからは「アホな人だな」と思うようになった。

それがどれだけ「アホな行為」かを、いちいち説明するのもあほらしい。

 

そんな親の言葉に傷つきながらも、一生懸命文章にしていた子供の私。

私って可哀そうな子供だったよねと、当時の私によしよししてあげたい気分になった。

 

『カサンドラ症候群の本音』という動画・この人の気持ち、わかる…

youtu.be

 

動画制作者・もち子さんの言ってる事が分かりすぎる。

 

*悪気がないからって許せるわけじゃない

*普通、分かるでしょ?

*みんな全然わかってくれない

*なんで私ばっかり…

*それでもやっぱり虚しい…

 

…共感しかない。

 

今の世の中、この辛さを公に叫ぶことは許されない。

もちろん、許されないのは良い事でもある。

障害に対する差別や排除は無い方が良いに決まっている。

 

ただ、そこに関わる人、

関わらざるを得ない人の苦しみを、無いことにされるのは納得できない。

 

でもそれが「家族」の場合、往々にして「無いこと」にされたりする。

 

自分の子供なのに…、自分の親なのに…と、理解し許す努力と我慢とを強いられたりする。そして「それくらいどこでもある」「大したことない」と言われてしまったりするのだ。

 

別動画でDVを伴わないカサンドラの心の傷を『針で全身を刺され続けている感じ』と例えていた。

 

暴力による派手な傷が無いので「大したことないんじゃないか」と思われがちだが、慢性的な心の傷が積み重なることで、酷い外傷にも匹敵するようになるのだ。

 

これがカサンドラ症候群の本質なんだろうと思う。

そして身体的虐待の無い毒親からの被害も同じだろうと思う。

 

なかなか理解されにくいカサンドラ症候群

その気持ちを言葉にしてくれている、とても良い動画だった。

 

 

 

「もののけ憑き」だった母

 

 

源氏物語・髭黒の北の方

 

源氏物語に「髭黒」という人物が出てくる。

 

髭黒は光源氏の養女・玉鬘と結婚することになる男性だが、この髭黒の北の方は以前から心を病んでいた。

 

夫婦の仲は良いとは言えなかったが、髭黒は北の方を愛おしく思う時もあり、この先も面倒を見ていこうと決心していた。北の方も正常なときは大人しくしとやかな奥方なのだ。

 

しかし髭黒が玉鬘の元へ通うようになると北の方の病状は悪化し、悪態をついて髭黒に灰を投げつけるようになる。

 

髭黒は加持祈祷を行わせもののけの仕業だから」とパニックを起こす北の方を労わる。

 

しかし、妻の不安定な精神状態に疲れ果てた髭黒は彼女を疎ましく思うようになり、結果的に二人は離婚するに至るのだ。

 

もののけ憑きの母

 

私と母の状態は、髭黒と北の方の関係に似ている。

 

毒母は髭黒の北の方とは違って気がきつく、言葉使いや態度も不愛想で頭も良くない。おまけに人の気持ちが分からないので不用意な発言は日常茶飯事だった。

 

しかしパニックや不安から周りの人に当たり散らしたり口汚く罵ったりする事がなく、不用意な発言もその度合いが”マックス”でない時は、割と<普通>だった。

<普通>の時には、穏やかに世間話をしたりお茶を飲んだりできた。

 

しかし、ひとたび発作が起きるともののけとなるのだ。

 

母の発作の様子は、何かの拍子でスイッチが入ると突然怒り出し、傍にいる者を言葉で攻撃するというものだった。

 

スイッチとなるのは、自分が思っていたのとは違う事が起こった時や、不安や焦りを感じた時などだ。

 

なんてことのない些細なことでイラつき、そのイライラを解消するために周りの者に当たり散らす。このいつ起こるかわからない狂気が、子どもにとっては恐ろしいのである。

 

平安時代の人が精神疾患もののけの仕業」と言ったのは言い得て妙だ。

母が精神疾患を抱えていたかどうかは分からないが(私は発達障害を疑っている)、それでも北の方と同様にもののけ憑き」には変わりなかった。

 

愛があっても無くても

 

髭黒と北の方との間には何かしらの愛はあったと思う。

それでも髭黒は耐えられなかった。

 

同じように、私も毒母がまき散らす「毒」に耐えられなかった

もののけの毒によって生じた傷が澱となって、私の心に積もっていった。

 

愛があろうとなかろうと、

髭黒も私も、北の方や母の「もののけ」に辟易していたのだ。

 

もののけが去った後その人がどれだけ「普通」だったとしても、突然現れる狂気を持った人を信頼し愛することは私にはできない。母のように自分の「もののけ憑き」を認めない人は尚更だ。

 

子供の頃に感じていた「母親に嫌われている」という感情は、たとえその原因が「もののけの仕業」だったと分かったとしても、決して消えることはない。

 

それは私がそういう性分だからかもしれないが、もしそうだとしたら、私たち親子は恐ろしく相性が悪いのだろう。

 

あの母を愛することは私には無理で、でも親子の関係を諦めきる事もできず、正常な時のことを思うと罪悪感もあり、そんな複雑な感情に長い間苦しんだ。

 

髭黒がそうしたように、思い切りが肝心だったのだろうと悔やんでいる。

 

 

亡き毒母を「良い人だったね」と言うご近所さん達、なんだか複雑な心境になるんだよ…

 

ここ一年ほど、両親が残した古家の整理に通っている。

 

庭掃除なんぞをしていると、

表を通りがかったご近所さん(母の友達や知人)が声をかけてくれる。

そして必ず「お母さんは良い人だったね」と言う。

 

ご近所だからそう言ってくれるのかもしれないが、

でも全くの”おべんじゃら”ではなさそうなので、

私は何だか複雑な心境になるのである。

 

「お母さんは良い人だったね」の後にはいろいろな人物評価が付く。

大人しい人だった、

さっぱりした人だった

人懐っこい人だった、などなど。

どれも本当の母なのだと思う。

 

「表向きの顔と家族に向けた顔は違って当然」と言ったおじいさんがいたが、この人は「大人しかった」と評した人だ。

 

「表向きの顔と家族に向けた顔は違って当然」

それはその通りなんだ。

 

その通りなんだが…あまりにも母を「良い人」と評されると、「私は幻を見ていたのか?」と思ってしまうのである。

 

母は本当は「良い人」で、それを「毒母」などと呼んでいる私は何か思い違いをしているのではないか? 本当は母は「良い母」だったのではないか? と自分の感覚を疑い始めてしまうのだ。

 

そして最後には、

「母の暴言にいちいち反応していた私が悪いのではないか? 間違っていたのではないか?という心の迷いに至るのである。

 

これがなかなかにしんどい。

 

あの古家に行くと嫌な思いをする。

まっすぐに「母が嫌いだった」と思えなくなる。

頭の中がグルグルしてくる。

 

全く体に良くないので、あの古家は売ることに決めた。

 

 

毒親亡き後の親戚付き合いの終わり方って難しいよね、という愚痴

なんてことないんだけど、なんだかモヤモヤして気分が妙に沈む。

そんな時はここで愚痴ってしまえ!ってことで本日は(も?)愚痴です。

 

親戚付き合いの終わり方って難しいよね。

と言うのも、

今まで何十年も、ずっと来ていた年賀状がピタリと止まったんだ。

もちろん、こちらは今年も出したよ、年賀状。

 

それは母方の親戚なんだけど、

「直接の兄弟(母)が亡くなったので、あなたとのお付き合いはこれで終わりにするね」ってことなんだろうと思う。

 

母は実の妹とは縁を切っていたし(切られていたんだと思うが)、義理の姉妹とも冠婚葬祭以外の付き合いはないし、たくさん嫌な思いをさせている。

 

どちらとも関係は最悪だったので、その娘である私がお付き合いを切られても、そこまで落ち込む必要も無いのだ。寧ろ向こうとしては清々しているんだろうなと思う。当然と言えば当然だ。

 

だから別にいいんだけど、私は思ってしまうんだよね。

「なんだ、私は自分達が縁を切った母の様子を知るためだけに繋がってたのね…」って。その母がいなくなったから、もう用無しってことでフェイドアウトなのね、って。

母と縁を切ったのだから送ってくるな、って事なら、もっと早くに辞めればよかったのに…とか思ってしまう。

 

そもそもさ、

うちの両親、なんで親戚と縁を切ってしまうほど揉めるんだよ?

なんでそんなに人とトラブるんだよ?

 

両親は私相手に愚痴る人だったので、彼らの言い分は知っている。

でもどう考えても親戚が「変な人」とは思えないんだ。

うちの親の考えがおかしいんだよ。

「そうだよねぇ」って偽りの共感を示すことが出来ないくらいおかしいんだ。

 

父の場合、相手の問題に勝手に首を突っ込んで、自論を述べて相手を批判して、結局自分一人はじき出されている。

母の場合はいつも通り、考えなしの暴言嫌味・パニックからの癇癪で相手を疲弊させている。

 

2人とも、近寄りすぎたりブツッと縁を切ってしまったり、そこそこの関係性を維持するってことが出来ないんだよ。

 

親が「毒」だと、子どもまで毒扱いされてしまうから嫌だ。

物凄く嫌だ。

正月早々、いろいろ考えて気分が塞ぐ。

 

毒親育ちは親の死後、

こういう嫌な目にも合うっていう一例でした。

 

 

成人式、行かないとなんだかモヤモヤするよね

成人式に欠席した20歳男子の記事。

 

www.msn.com

 

うんうん、分かるよその気持ち。

 

行っても行かなくても本当はどっちでもいいんだけど、

行かなければ何だか気持ちがモヤモヤするよね。

 

成人式って「クリスマス」とどこか似てるよね(若い頃の)。

 

『お友達、何人いますか?』っていう、こういう能力ってなんて言うのかな? 

とにかくそういう力を試されているような気がしないかい?

 

私は当然の如く行かなかったんだけど、

その理由は、成人式が『中学校区』で会場が分かれるから。

 

私は人生の中で最も嫌だったのが小学校+中学校時代だったので、

中学の同窓会のような会には行きたくなかった。

 

高校や大学の友達と一緒なら出席したかったな。

でも成人式って同窓会も兼ねるから、そこに割り込むわけにもいかないし…

 

行かないって決めてたし、実際に行かなかったし別にそれでいいんだけど、

その日一日、何だかモヤモヤしたなぁ…

自分が世界でたった独りって気分になってた。

 

大げさだなぁと今では思うけど、

20歳の頃ってまだまだ周りが気になるお年頃なんよね。

他人が自分の事をどう見てるかってことが気になる。

 

学校が嫌いだったという事が後ろめたいと言うか、 友達100人いなかった自分を卑下したり、なんだかそんな重い気分に浸った1日だった。

 

歳を取ればとるほど、こういう「自由参加だけど行かないとモヤる行事」が減ってくるのでありがたい。歳を取るのも悪くないと思える一面である。

 

我が家は夫婦と子供一人なんだけど、三人とも成人式には行っていない。

 

子どもは遠方の為、スケジュール的に行けなかったんだけど、

夫は「え? 行かんのが普通と違うん?」と言ってた。

 

…なかなかな猛者である。

 

 

私と母は共依存だったのかも…

 

年明け早々に暗い話だが、

年の瀬に読んだ文春オンラインの記事。

 

bunshun.jp

 

詳細は違えど、

ここに出てくる母娘のように、

私と母も『共依存』の関係だったのかもしれないなと思った。

 

暴言や嫌味を言われて嫌なら会わなければいい。

なぜ自分からわざわざ会いに行くのか?

 

全くその通りなんだ。

おっしゃる通り。

 

でも私はずっと、自分から会いに行っていた。

来いと言われない時でも、せっせと通っていた。

子供が生まれてからは特にそうだった。

 

わざわざ母の喜びそうな「他人の悪口」を持って行ったり、

しなくてもいい用事を自分から引き受けたり、

そして様々な母の要求を断れないでいた。

 

何だったのだろうか、あの気持ちは。

 

行かなかったら、

断ってしまえば、

何かが終わるような気がしてた。

 

何かって何?

 

母にしていた話、

していたことは全部、

「気付いてほしい」と言う私の訴えだった。

 

あなたが私にしてきたこと、

人格否定や暴言、嫌味、他人の悪口や夫婦喧嘩。

そういう事が私を苦しめているんだと気付いてほしい。

そして今までずっと辛い思いをしてきたことをわかってほしい。

 

その思いをストレートにではなく、

言葉の端々にちりばめ、行動の一端に乗せて訴え続けていたんだ。

 

何故もっとストレートに言えなかったのか…

 

言っても無視されるか、

100倍にして返されるか、

癇癪を起されるか。

 

それがわかっていたからできなかったのか?

そんな母親でも、関係が完全に切れてしまうのが怖かったのか?

 

そのあたりの事は、自分でもよく分からない。

 

*****

 

子育てってこういう風にするんだよ?

そう伝えたくて子供を連れて日参していたあの頃。

 

子どもの人格を否定しちゃだめだよ、

何でも最初は一緒にしてあげてね、

ちゃんと教えてあげてね、

一緒に遊んであげてね、

いっぱい話しかけてあげてね、

子どもをいっぱい抱きしめてあげてね、

「愛してる」って気持ちを言葉にして伝えてあげてね、

 

それからそれから…

 

実際のところ、私の子育ては立派なものじゃなかった。

失敗もたくさんしたし、後悔だらけだ。

 

でも自分の子育てを通じて、母に伝えたかった。

私はこうしてほしかったんだ、ってことを伝えたかった。

 

でもある日、母はこう言った。

「私ら(父&母)がいつも世話してるから、この子(我が子)は言葉をたくさん知ってるし、よく話すんだ、やっぱり年寄りが育てると良いように育つわ」

 

あぁそうだった。

 

この人は『良い結果はすべて自分のおかげ』の人だった。

はっきり言わないと分からない人だった。

人の行動を見て学べない人だった、

気付きの無い人だった。

 

そうだった…そうだったんだよ。

 

私の訴えは、いつも徒労に終わる。

はっきり言っても暗に伝えても母が変わることは無いし、

母から謝罪の言葉を聞くことも無い。

 

ただの徒労。

やめればよかった、

私はアホだった。