やりたいことは絶対にやる
母は自分がやりたいことを子どものために諦める、という事がができない人だ。
それは「人生において」などという大きなことではなく、常生活のちょっとしたことについてなんだけど。
私が5歳くらいの頃、こんなことがあった。
当時は実演販売が流行っていて、市民会館などの大きめの部屋を借りて、生活雑貨などの実演販売ショーを行っていた。
母はその実演ショーにどうしても行きたかったのだ。
ある日、母は私を連れて、その会場に向かった。
ところが会場の入り口で「お子さんは入場できません」と言われたそうだ。普通なら「仕方ないね」と2人で帰るだろう。
ところが母は5歳の私を、大人の足で30分近くかかる道のりを一人で帰したのだ。
「一人で帰れる? 大丈夫?」などと言う優しい言葉は一切ない。「一人で帰って!」と言いつけられただけだ。
私の記憶では、たぶんそこは初めての場所だったように思う。よく家に着けたもんだ。偉いぞ、5歳の私!
しかし、いくらのんきな昭和の時代とは言え、もし誘拐でもされたらどうするつもりだったんだろう?
交通事故にあうかもしれないじゃないか?
きっとそんなことは1ミリも考えてなかったんだろうな…
邪魔にされる子ども
「お前は邪魔だ」と、自分がそれをしたいがために子どもを追いやるような行動をとる。
そんなこと、私が中学生になる頃まで続いた。
幼稚園や小学生の頃は、お昼間に家の中で遊んでいると母に怒鳴られるので、用もないのに外をブラブラしていたこともあった。
私はインドア派で、工作をしたり本を読んで過ごすのが好きだったが、母が家にいる間は無理だった。
ただ母が昼寝をしている間は怒られないので、こっそり家の中で遊んでいたなぁ。「母の昼寝=幸せ」だった子供の頃…
母は子供が家の中にいると落ち着かないらしい。1階と2階に別々にいても嫌なんだ。
「放置子」と言われる子どもがいる。その子たちも、きっと親に放り出されてるんだろうな…
毒親は、自分が放り出した子供が外で何をしているんだろうとか、たぶん想像もしないんだろう。
暑いだろうな、寒いだろうなとか、おうちが好きな子が…とかも、きっとなんにも考えない。
自分の前から子どもの気配が消えたら、それでいいんだろう。
因みになんだけど、母は私がインドア派で工作や折り紙が好きだったことを知らなかったらしい…
あんなにいつもやっていたのに?
一体あなたの目は、どこに付いているんですか?
自己中心的な思考回路
それでも母は「私は子どもをいろんなところに連れて行った!」と自慢げに語る。
あの家の子はずっと家にいるとか、あの家は夏休みなのにどこにも連れて行かない、などとご近所の悪口を言う母。
きっと自分は良い母だと言いたいのだろう。
そうだね、あなたは確かに連れて行ったよ。
でもそこは、子どもが行きたい場所じゃなかったよね。
単に自分が行きたいか、自分が連れていきたいと勝手に思った場所だよね。
しかも疲れるもんだから、必ずあなたの癇癪が起こって、楽しい気分なんてなかったよ。
癇癪がひどくならないようにハラハラして気を遣うのは本当に疲れたよ。
それなら家の中で工作や折り紙や本を読んで過ごした方が100倍楽しいよと、何度も思っていたよ。
母の「子どもに○○してやった」っていう話は、聞いていて本当に胸が悪くなるんだ。
どこにも連れて行ってもらわなくても、お家で安心して過ごせたら、それが一番幸せだと私は思うよ。