毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

誰からも文句を言われたくないと強く思ってしまう…

 

私は趣味で絵を描いているのだが、

最初は楽しくても、その内に段々、何だか悪い事をしているような気分になって、虚しくなってくるんだ。

 

何のためにこれをしているんだろう?

こんなことをしていていいんだろうか?

 

私は、ただ「楽しいから」という理由だけで何かをすることができない。

最初は楽しくても、すぐに罪悪感を持ってしまうんだ。

 

誰からも批判されたくない。

誰からも文句を言われたくない。

 

だから私は働いている時だけ、安心できる。

 

「働く」事に関してだけは、誰からも批判されない。

「なぜそんなことをしてるんだ?そんなこと、やめておけ」と言われないからだ。

 

あ、いや、一人だけいたな、

働いていても文句を言ってくる人が。

 

毒母だ。

 

「そんな仕事、やめとき。時間を切り売りしてだけや。時間がもったいないわ」といって文句を言ってきたな。

かと言って家で趣味のことをしていても、

「そんなこと、やめとき。そんなんしてて何になるん? 時間がもったいないわ」と言う。

 

人のする事にいちいち難癖をつけないと、生きていけないんだろうか?

「時間がもったいなくない事」って何?

 

毒母は自分の多動を解消してくれる『旅行』が大好きだった。

 

『旅行』は素晴らしいことであり、時間とお金を使っても全く無駄にはならない至高の趣味だと思っていた。

 

いつも旅行の話をしていて、相手が興味を持っていようがなかろうがお構いなし。

 

「私はあまり興味が無くて」とか「旅行はあまり行きたいと思わない」などと言おうものなら、「あの人はくだらない人だ、旅行に行きたくないなんて信じられん」と見下すような発言をする。

 

挙句の果てには「あの人は旅行に行きたいけど、行くお金が無いからあんな負け惜しみを言っているんだ」と、失礼極まりないことを言い出す始末。

 

母は「それは良い趣味だね、私も大好きだ」と言ってもらわないと気が済まない人だったので、相手に「関心が無い」とわかると、途端に攻撃態勢に入るのだ。

 

そのくせ他人の趣味には「あんな趣味は無駄」と、難癖をつけて回るのだから訳が分からない。

 

こういう人と長年一緒にいると、「もう誰からも文句を言われたくない」と思うようになる。そして、自分が「楽しい」と思うことを、思うままに楽しめなくなる。

 

「誰からも何も文句を言われないようなことをしないと!」と思ってしまうのは、私の悪習慣でもあり、病的な部分でもある。

 

母が亡くなってしばらく経つが、一度付いてしまった習慣はなかなか取れないものだ。

 

自分が「楽しい」と思うことを、何の気兼ねも無く楽しむことができたらいいなと思う。

いつかそうなることを願っている。