毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

自然の摂理と種の保存についての独り言

 

 

天才は稀な存在

 

発達障害と天才とを関連付ける話をよく聞く。

 

しかし思うに、それは非常に稀な例であって、発達障害「高IQ」「運」「時代の要請」が偶然にも重なった時にしか現れないと思っている。

 

特に「時代の要請」の影響は大きい。

 

いくらたぐいまれな才能があろうとも、その才能の種類や方向性が、その人が生きる時代に必要とされているものでなかったら、それは「ただの変わった人」で終わってしまう可能性が高い。

 

「天才」と呼ばれるような人物になったとしても「幸せ」とは別問題であるが、それでも時代に名も残すことで、自分を納得させられるかもしれない。

 

対してその他大勢の発達障害者は「ただただ人生ハードモード」という場合が多いのではないだろうか。

 

偶然の産物である「天才」を生むための予備軍(予備軍でもないな)でしかないのかと思うと、腹立たしいと言うか、虚しいと言うか…なんとも言えない気持ちになる。

 

自然の仕業

 

「自然」と言うものは、徹底して「個人の幸福」には関心がない。「人」という「種の存続」にしか興味がないのだ。

 

種を存続させるためには「多様性」が必要となる。

この世の中がどう変わろうとも、いずれかの種類の人間が生き残ればよい。

 

そのために自然は、様々な種類の人を造る。その一つが「発達障害」なんだろうと思う。

 

「多数派」は強い

 

だから「普通」な人達が、特に優秀で立派と言うわけではない。

数が多いってだけなんだ。

 

そもそも人間なんて、そんなに大して必要ない人がほとんどなんだよ。

 

たいして努力もしないし我慢もしない。

それでやっていけるように、社会の側を「普通の人々」に合わせてある。

 

いつの時代も「多数派」が普通に生きていけるように、社会システムは構築される。

 

そりゃぁ当たり前だ。

多数派の人が普通に生きていけない世の中なんて、社会として成立しないんだから仕方がない。

 

要するに、人間の人格とか能力とかそういう事には関係なく、生きやすいかどうかなんて、多数派か少数派化の違いだけなんだろう。

 

誰が多数派になるか

 

でも自然の摂理ってことから考えると、今の「普通」な人たちが多数派を占めているってことは、やっぱりそれが最も人の存続の可能性が高くなるからなんだろうな。

 

という事は、「宇宙に行く」とか「”ケンシロウ”の時代になる」とか、何かとんでもない大転換が起きない限り、「普通」の範疇とされない人々が「多数派」になることはないのかもしれない。

 

この「地球」という土地の上で、「人」という種族として存在するためには、その時代が平穏であればあるほど、発達障害者は大変な人生を送ることになるんだろうな…

 

なんだか暗く救いのない話になってしまった…

若いライダーの死が堪えてるんだ…