毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

こんなに毎日虚しいのは、老化とルッキズムのせいもある

 

やっぱり毎日虚しいよ

 

虚しい病がずっと続いている。

 

前回、

セロトニンだかドパミンだか知らないが、なにかそういう類ものが枯渇してるんだろう、って話をした。

 

まぁそうなんだろうけど、それだけではない気もするぞ。

そこで、なんでこんなに虚しいのかを考えてみた。

 

老化ほど恐ろしものはない

 

その理由は、ずばり、歳のせいであろう。

 

体力低下もさることながら、

見た目の衰えは、もう何をどうしても隠し切れなくなった。

 

顔中に広がるしわ・たるみ。

最近になって、ついにマリオネットラインが出てしまった。

もう絶望しかない。

 

首の「お婆さん化」もすさまじいものがある。

この間、手の甲がちりめん皺だらけなのを発見して卒倒しそうになった。

 

歳を取るとは残酷だ。

いくら気ばかり若くても、見た目がそれを許さない。

 

「あんた、もう立派な婆さんですぜ」

と毎日鏡に言われるのだから、傷つくなんてもんじゃない。

毎日の小さな傷は、積もり積もって心を蝕むんですわ。

 

もし今、魔法使いの婆さんがドロロンと現れて、

「望みをなんでも叶えてしんぜよう!」

などと言ったなら、私は迷わず「18歳の外見に戻してくれ」と言う。

 

富も名誉もいらん! ついでに翼もいらんよ!

 

中身は今のままでよい。

もう一度だけ、外見を18歳から始めさせてくれぇ!とすがって頼む。

 

もしそれが叶うのなら、30歳の誕生日に寿命が尽きてもいいぞよ。

あと12年の人生でも、全然かまわんよ!

 

と、思うくらい、見た目の老化は心をむしばむのである。

 

年寄りであるのは恥ずかしい?

 

にしても、外見の老化がなぜこんなに辛いのか?

 

それは私自身が

「年寄りがいろんな場所に出没するのは恥ずかしい」

と思っているからなんだ。

 

例えば、私には「推し」がいるのだが、

「推し」が出る舞台とか、映画とか、なんとか記念の握手会(最近ないけど)なんぞがあれば是非とも行きたいわけであるよ。

 

でも行けない。

どうしても行けない。

 

こんな婆さんが若い人の中に入ったら迷惑よね~とか、

こんな婆さんがファンだとなったら推しの価値が下がるわ~、

などと思ってしまうからである。

 

私に”デヴィ夫人”か”叶姉妹”のような妙な貫禄があれば行けるかもしれんが、

私ごときでは舞台や映画館でさえ「むりっ」である。

 

握手会なんぞ、こっぱずかし過ぎて爆死だ。

そもそも、推しの手が腐るというものよ。

 

一人淋しくHuluやネットフリックスでお姿を拝見し、

人生初買いの写真集を眺め、

公式ツイッター&インスタで動画を楽しんでいるのである。

 

年寄りは醜いですか?

 

お年を召していてもお美しい方はお美しい。

 

しかし、それは元々お美しい顔面をなさっているからであって、若さだけで何とか十人並みを保っていた私の顔面なんぞでは、猛スピードで迫りくる老化には到底太刀打ちできないのである。

 

別にきれいじゃなくても、気にせず会いに行けばいいんじゃない?

 

いやぁ~、それはないわ。

いやぁ~、それはないわ×100回

 

やっぱりこの歳ではムリやろ。

かの清少納言だって”年寄りは醜い”などと言っていたぞ。

 

1000年前に比べれば化粧の質は爆上がり、

美顔器は星の数ほど、

なんなら美容整形もあるぞ、切って縫い付けられるぞ!

 

しかし! 

どれだけ金をかけようとも、

多少ましな「年寄り」になるだけで、20歳のお嬢さんになれるわけではないのである。

 

年寄りは居場所を限定される?

 

いやいや、

これは別に推し活だけの話ではないのよ。

 

例えば、おしゃれ~なカフェに入るのだって躊躇してしまうのよ。

私のような婆さんがいたらカフェのおしゃれ度が下がるわよね、と思ってしまうのよ。

 

昔ディスコなるものがあった時代、林真理子が文章で怒ってた。

 

ああいう所は、顔面の良い女子が入口に近い席に案内されて、私みたいなのは、いーーーっち番奥の席に座らされるのよ、って。

 

年取ったら、いっつもそんな心境よ。

怒るってか、ごめんなさいねぇって感じ。

私、いっちばん奥の席に座ります!すみません、許してください!という気分よ。

 

「かっこいい」を目指せ!

 

これはほんとにどうしたものか…

 

残る戦略は「かっこいい婆さん」になるしかない。

 

デザイナーの島田順子さん、すごいよね、かっこいいよね。

あのお歳で、あの体型を維持しているのは奇跡。

 

そうだ、あれを目指そうではないか。

 

顔面が崩れに崩れたとしても、体型だけは努力でなんとかなる。

よーし! がんばる!

 

ふむ、少し元気が出てきたぞ。

 

虚しいながらも前を向く気になるのは、

どこかに「努力で何とかなる隙間」があるからだ。

 

このニッチがなくなった時、本物の底なしの虚しさが襲ってくるんだろうな。

 

怖いなぁ…

 

てなことで、

今日も「推し」はカッコ良いわ!