毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

アドバイスは溢れているけれど、実際にはあまり使えない…

 

うちの毒母は話の通じない人だ。

そして通じたことでも、すぐに忘れてしまう。

 

単なる「出来事」の話は通じる。

「新しいお店ができた」とか、「○○さんが結婚した」とか、そういう単なる事実は通じるんだ。忘れてしまうことも多いけど。

 

でも「私はこう思っている」という種類の話が通じない

話し手の「思い」や「考え」、そして「助言」が正しく伝わらないんだ。

 

何度話しても、自分の勝手な解釈と思い込みで、全然違うように受け取っていたりする。いい意味で言ったのに(「これはいい意味だよ」と念押ししても)、悪い意味で受け取っていたりするんだ。

 

「○○さんからこんなことを教えてもらった」と、ほんの数か月前に私が言ったアドバイスと全く同じことを聞かされることもある。

 

「あの人はそんなに悪い人やなかったで」と、まるで私がその人を悪く言ったように捉えていることもある。

 

こちらの言ったことを忘れているのか、伝わってなかったのか…

 

いろいろと調べてみると、それは「発達障害」と「知的障害」を持っている人の特徴と似ている。

 

しかし、発達障害や知的障害の人とのコミュニケーションについて、仕事上や子供に対するスポット的なアドバイスはあっても、日常生活でそれが使えるかと言えば「?」である。

 

例えば言語理解が苦手な場合、「図やメールなど視覚的な方法を使いましょう!」と書いてあるが、日常会話でこれをしようとしたらどうなるんだろうか?

 

大事な話なら、手紙かメールにすればいい。

 

でも日頃の何気ない会話でもそうしなくてはならないんだったら、それはもはや「気楽な日常の会話」ではなくなってしまう。

 

アドバイスなどと言うものは、たいてい限定的なものである。

 

日常生活はイレギュラーの連続なので、そこをどう埋めていくかが大問題だったりするが、そのことについてのアドバイスはない、というか、個別問題過ぎてできないんだろうな。

 

聴覚に障害があれば「手話」という共通言語があるが、

そんな風に共通の何かがあればいいのだが、今のところそれはないんだろう。

 

相手に自覚があれば相談できる。

互いにどうすればいいか、話し合うことができるかもしれない。

 

でも自覚がない場合はどうしようもない。

あまりやりすぎるとバカにしているような感じになって、関係がこじれるかもしれない。

 

日常会話でさえ「通じてない感」のある人とは、いったいどうやって意思の疎通を図ればいいんだろうか?

 

「通じない」という不快感と虚しさを受け入れるしかないんだろうか。

数パーセント通じればいいや、と諦めればいいんだろうか。

それとも、単なる出来事だけを話題にすればいいんだろうか。

 

途方に暮れるとは、こういう感じなんだろうな…

 

 

 

 

80歳オーバーで病気なのに「犬を飼う」と言った話

 

先日、用事があって母に会った時、母は「犬を飼う」と言った。

 

私は「またか…」と思った。

 

母は80を過ぎている。しかも病気を患っている。

 

「いくら長生きしても15年先はわからないよね。もしもの時に預かってくれる人はいるの? 入院した時はどうするの? ペットホテルに預けるの? 私も兄弟もマンションだから預かれないよ。生き物だから、1日だってほっとけないんだよ?」

 

母は「今初めて気が付いた」という顔をした。

 

母は25年前にも犬が飼いたいと言って、反対する父を無視して飼ったことがある。

案の定すぐに飽きてほったらかし、散歩にも連れて行かない。

仕方がないので父が毎日散歩に連れて行き、世話をしていた。

 

今回だってきっとそうなるに違いない。

母はそういう人だから。

 

母が普通の人なら、犬を飼うのもいいかもしれない、気がまぎれるからと、何とか飼えるように動いてみると思う。

 

でもあの母だから、絶対にやめてほしい。

 

母は先のことを考えられない。

こうすればこうなると想像できない。

 

だからいつも後先のことを考えないで、突発的に動いてしまう。あるいは動かない。

そしてその後始末をするのは、父がいた頃は父が、父亡き今は私の役目になっている。

 

母だけでも大変なのに、犬の事まで面倒見切れない。

いい加減にしてほしい。

 

 

通じないし覚えてもいないなんて、こんな虚しいことがあるだろうか

 

母の会話の話、まだまだ続く。

 

私は母と深い付き合いはできないが、子どもは私とは別なので、孫として親しく付き合ってくれても全然かまわない。

 

この話は子どもにも母にも、これまでに何度も話している。

 

でもやっぱり通じてない。

 

私が母のことをどう思っているか、親として愛着は持っているという話も、これまでに何度もしている。決して嫌な内容ではなくて、真剣に話したこともある。

 

でもやっぱり通じてないんだよね。

通じてないどころか、覚えてもいない。

 

なんでこんなに通じないんだろう?

なんでこんな真剣な話を、こうもあっさり忘れてしまうんだろう?

 

私にはどうしても理解できないんだ。

 

記憶の容量が極端に少ない人がいるってことは知っている。

理解力が低い人がいることも知っている。

 

でも自分の親がそうである場合、真剣な話や大事な話をどうやって分かってもらえばいいんだろうか?

 

それともわかってもらおうと思うことが、そもそも無理なことなんだろうか。

 

何にも通じないって、とても虚しい。

何をどう話そうとも、ひとつもわかってもらえないのって辛いよ。

 

しかも全部忘れてしまうんだからね。

諦めるしかないんだろうな。

 

 

 

母の会話の特徴

 

ここ何回か母の会話についてばかりになっているが、

何回も書いてしまうほど、母の会話は特徴的なんだ。

 

誰もが知っていることを知らない(びっくりするほど知らない)。

話の対象を深堀できないし繋げない

勝手な解釈をして会話が取っ散らかる

自分の事に話を持って行ってしまう

そして「もうこの人と話をしたくない」と思わせる第一位の理由が、この後に書くこと。

 

私「車で来たけど、道が混んでいて時間がかかったわ~」

母「なんでそんなに道が混むんや! ほんまに腹が立つわ!」と怒り出す。

 

一般的な会話なら、「今日はお彼岸だからお墓参りで混むのかな?」とか「今の時期、工事が多いからねぇ」とか、何か混む理由を挙げて話をつなげると思うんだけど、母はそういうことができない。

 

できないだけならまだしも、こちらがちょっとでも「不満そうなこと」を言うと、言った本人以上に怒り出すから不思議だ。

 

しかも怒っておしまいだから、会話はそこでブッツリと切れる。

これはかなり後味が悪い。

 

世の中でよく言われる「いわゆるコミュ障」は、本当のコミュ障ではないと思う。

それはただ会話が上手くないだけで、相手に害を及ぼすことはないんじゃないか?

 

本物のコミュ障とは、母のような人を言うのだと思う。

 

話が正しく伝わらず、膨らまず、続かず、

相手を不愉快な気分にさせ、時には激怒させてしまう。

しかも自分の「思い違い」を吹聴して回る。

 

これ以上の「コミュ障」があるだろうか。

最強なのではないか?

 

しかし本人は、この現実に気が付いていない。

まさか自分がコミュ障だとは、努々思っていない様子だ。

 

母は自分の「不出来」な部分を思って、「私ってなぜ○○ができないんだろう?」と悩むことがない人だ。

 

自分が○○ができないのは△△(他人とか家族とか環境とか)が悪いからで、自分の責任ではないと思うか、そもそも○○なんてできないくてもいいんだ、と開き直るかのどちらだ。

 

だからいつまでたっても、何かが改善されるとか良くなっていくことはない。

 

会話についても同じで、自分が気分良く話ができないのは相手がツンケンしているからだとか、こちらに話題を合わせてくれないからだと思う人なんだ。

 

どうやったらそんな身勝手なことを考えられるのか不思議なんだけど、でもねぇ…よくよく考えてみると、果たしてこの人と会話する意味なんてあるんだろうか?

 

 

何も知らなすぎる 

 

うちの母は「あなたは一体、何を知っているんですか?」と聞きたくなるくらい、何も知らない。

 

別に、難しいことを知らないって話じゃない。

簡単な物の名前を知らないんだ。

 

例えば、

母は「ルイヴィトン」を知らない。

 

別にブランド物に興味がなくても、有名なブランド名なんだから名前くらいは知ってると思うんだけど、母は知らないんだ。

 

松下、シャープ(昔のしろもの家電)以外の企業名もほとんど知らないし、病気の名称とか有名な学校とか、とにかく「誰でも知ってるもの」をほとんど知らないんだ。

 

なんでなんだろうね?

 

長いこと生きてるんだから、きっと一度は耳にしてると思う。

でも覚えてないか、興味のない事は聞いてないのか、なにかそんな所なんだろうか。

 

母との会話が続かない理由の一つが、この「あまりに何も知らない」ことなんだ。

自分が知らないことには関心がないので、「へぇ~」の一言で終わってしまうから、全く話が膨らまない。

 

母が唯一知っているのは、好きな「旅行」に関することだけ。

行った場所の地名や名所、そういうことはかろうじて覚えている。

 

興味の偏りがあるのか、関心のないことは覚えられないのか…

 

何かわからないけど、

何でもまんべんなく知っているって、コミュニケーションにとっては大事なことだと思う。

 

 

毒母との会話は「会話」にならない

毒母との会話は、はっきり言ってつまらない。

どんな話題を投げかけても、すぐさま「自分の話」に持っていかれるからだ。

 

例えば、

「最近、こんなん作ってんのよ、結構楽しいよ」

と言ったとする。

普通なら、

「へぇ~、どんなんか見せて?」とか

「どうやって作るの?」とか、

私の言った内容に対して「興味を持ったような」返しをすると思う。

 

互いに意見の交換をしたり、感想を言い合ったり、そんなふうに会話は膨らんでいくと思う。

 

ところが毒母は違う。

「へぇ~、私も最近○○始めてん、見てくれる?」となる。

 

どんな話でも大概こうで、すぐさま自分の話に持っていかれて私の話はどこかに消えてしまうんだ。

 

話が深まっていくのならまだいい。

でもそれもなく、ただ自分のしたことを見せて紹介して終わりなんだ。

 

もっと最悪なのは、たまたま同じことをしていた時だ。

面白いくらい、露骨にいやな顔をするときがある。

 

母は不器用なので、何をやっても大して上手くない。

だからどうしても、他の人がしたものの方が上手なんだ。

それがわかっているのか、実に不機嫌な顔をするんだな。

 

会話のピンポンができないのは、結構しんどい。

 

こちらはたとえ話を持っていかれたとしても、興味ありげに話を合わせようとしてしまう。するといつまでも相手の話ばっかりになってしまう。しかもそこから得るものはほとんどない。

 

これが延々と続くのは正直キツイ。虚しいというか…面白くないんだよね。

 

話が全く膨らまないって、会話する意味がないよね。

私は「無料のカウンセラー」じゃないんだからさ、と思ってしまう。

 

 

何も伝わらない虚しさ

 

うちの毒母は「聞いているけど聞いていない」ことが良くある。

 

人の言うことをフンフンと聞いているんだけど、相手が何を言っているのか、何を言いたいのかをわかってないような気がする。

 

人の考えとか思いとか、そういうジャンルのことが理解できないのか、それともすぐに忘れてしまうのか。

 

いくらこちらが説明しても何も情報が更新されてなくて、たとえ一時的に更新されても、母の頭に元からあった考えが、何故だか再び上書きされている感じ…というのかな?

 

それはまるで、往年のドリフターズのコントみたいなんだ。

 

加藤茶の若者が一所懸命に説明するも、志村けんの爺さんは「で、おめぇは○○がやりたいんだろ?」と同じことを繰り返し言う。

 

ほぼほぼ、あんな感じ。あれが数日後、数か月後に起こるんだ。

 

物凄く不思議な現象なんだけど、あれっていったい何なの?

モリーの容量がないの?

理解力が低いの?

聴覚処理能力に障害でもあるの?

 

わからないんだったら聞き返すとか確認するとかすればいいのに、それは絶対にしないんだ。さもわかったように聞き流し、結局何もわかってないんだ。

 

結果的には自分の都合の良いように考えて、それを「本当だ」と思い込んでしまうから困るんだよ。

 

父ともずっと「言った、言わない」で喧嘩してたなぁ…

 

母の「そんなことを言った覚えはない」は全く当てにならない。

そのセリフが出た時は高い確率で「言ってる」し、「○○はこうだ」と言う情報も本当かどうかわからないことが多い。

 

「頭の中を見てみたいわ!」である。本当に理解不能な人だ。