絵を描くのが好き
私は絵を描くのが好きで、水彩、油絵、パステルとやってきて、今は鉛筆画にはまっている。
「やってきて」と言っても専門的に習ったわけでもないので、全くの自己流で、単なる趣味だ。
鉛筆画は、準備や後始末が楽なのがよい。
油絵のように乾くまで待つ必要もないし、パレットや筆を洗うこともない。パステルのように手が汚れる心配もない。
気が向いた時にちゃちゃっと描いて、そのまま出しっぱなしでも邪魔にならない。
非常に気楽なのである。
「面白い絵」が描けない
しかしそうやって絵を描いていて1年ほど経つと、毎回必ず同じ壁にぶち当たる。
「面白い絵が描けない」という壁だ。
「面白い絵」とは、迫力があるとか妙に気になるというか、その人独自の個性がにじみ出ている絵、という事だろうか。
私の絵は、「そのまま移した」という点ではそこそこ上手いと思う(自画自賛だな…)。でも、そこに「私独自の何か」がない。
ネット上には写真と見間違えるような鉛筆画がたくさん出ている。
確かに上手いと思う。
でも私はそういう上手い絵を見ると、
「じゃあ写真でよくね?」と思ってしまうのである。
物体を写真のように移すのではなくて、「脳が見たもの」を描きたい。
「どこまでも主観的な何か」を描きたいのである。
それは奇をてらったもの、という意味ではない。
鉛筆画は黒と白の世界である。
そのモノトーンを大胆に生かして、迫力のある、一度見たら目を離せなくなるような作品を描きたい。
毎回、描く前には必ずそう思って描き始める。
ところが出来上がりは、
「難はないがどこと言って特徴のない写真のような作品」になっているのである。
そして思う、
私ってつまらない人間だなぁ…
挑戦と冒険ができない凡人
大胆で個性のある絵を描こうと思えば、一旦「上手く移した絵」という状態を崩さないといけない。「そこそこ上手い」を手放さないといけない。
私はそれができないんだな。
私は何でもそうなんである。
ここ(目標)に辿り着きたい、こうなりたいという希望を持ちつつも、結局は「ここから下には絶対に下がりたくない」という気持ちが勝ってしまう。
挑戦や冒険できずに、最後にはほどほどのところで留まることを選択してしまう。
だからすべてのことについて「不完全燃焼」を起こしている。
やり切った感がないんだな。
何でこうなってしまうのか?と言えば、
私が過度に人目や評価を気にしているからなんだろうな。
挑戦や冒険には、手ひどい失敗がつきものだ。
下手をすれば、自分の実力以下の評価になってしまう可能性だってある。
私はそれが嫌なんだろう。
小さいなぁ…と思う。
世で「天才」と言われる人々は、この自分の中にある葛藤を超えて、「やりたい」という気持ちのままに突き進む「何か」を持っているんだろう。その迫力が結果の中に現れて、人の感動を呼ぶのであろうと思う。
…まぁ…私は凡人ということだ。
そもそも凡人が趣味で描いているような絵に「個性」も何もないだろう。
そんなことを考えること自体、おこがましいというものだ。
私は今日も絵を描いている。
そして出来上がった絵をみて「面白くないねぇ~」とがっかりしている。
それでもまた、絵を描きたいと思う。
この感情は何なんだろうか?
マゾか?
全く意味不明である。