毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

母のいない穏やかな生活:自分のテンポで生きる幸せを感じる一年でした

2025年もあと一日となりました。

そして、母が亡くなって3年が過ぎました。

 

母がいなくなって1年が過ぎた頃から、私は私の本来のテンポで生活できるようになりました。会話の内容や人とのかかわり方、そんなことまで穏やかなものに変りつつあります。

 

母がいた頃は、別にいつも母が傍にいるわけでもないのに、私はずっと何かに急き立てられるように生きてきました。「早くしなくては!」「何かしなくては!」と、いつも焦っていました。

 

「早くしいや(早くして)!」

「何かしろ!」

母の癇癪交じりの声は、今でも耳に残っています。

 

母は「待つ」ということができない人だったので、ほんの数秒待たされただけでもイライラの虫が出てくるのでした。役所の人とか商業施設の人とか公共の乗り物とか、相手が反論できない立場の人には、対応が悪いとかなんとか口汚く文句を言うのが常でした。

 

母は子どもが家の中にいると、これまたイライラの虫が出てくる人でした。なので子どもの頃は「外に行け!」とよく怒鳴られました。

 

私はインドア派の子どもで、家の中で絵を描いたり工作をするのが好きだったのですが、そんなことは母が昼寝をしている間にしかできませんでした。

 

もし母が起きている間にしようものなら、つまらないものを作るな!とか、片付けが悪いだとか、何か難癖をつけられるので、しない方がましなのです。

 

母は家の中が整然(人が生活していると思えないほど整然)としていないと気が済まない人だったので、子どもの工作が床やテーブルの上にあるなどは論外なのでした。

 

母はとにかく、人がすることに片っ端から難癖をつけて回る人でした。それは子どもに対しても同じでした。

 

なぜあんなに人のすることが気に食わなかったのだろう?

何にそんなに怒っていたのだろう?

 

多分、それは母にも分からなかったのではないかと思うのです。

 

なんだか知らないがイライラする。

なんだか分からないが腹が立つ。

そんな感じだったのではないかと思うのです。

 

今、私は自分のテンポで生きることができています。

そのことを心から幸せだなと感じています。