精神科医曰く、ミスの多さや対人関係の困難などがあり発達障害を疑ったものの、診察や検査により発達障害ではなく複雑性PTSDや適応障害だった人が非常に多いとのこと。原因は虐待やイジメ。ただ症状はASDやADHDのグレーとほぼ同じ。自尊心が低く周りを気にするため、肝心なことに集中できなくなるのだ
— 黒@アスペ女 (@kuroASDgirl) July 15, 2022
とても共感できる内容です。
私もずっと、ミスの連発や人間関係の難しさは「生まれ持った性格」なんだと諦めていました。
でも50になってやっと気づいたんです。これって、幼少期から続く「母に対する恐怖心」が原因なんじゃないかって。
私の毒母は気まぐれに喚き散らす人です。普段から人の悪口・根拠のない批判・嫌味が絶えない人です。
家族に対しても、自分の思い通りにならない事があるとすぐにわめき、人格否定が始まります。
だから、母に文句を言う隙を与えないように顔色を窺い、刺激しないように気を遣って暮らしてきました。
それは母に対してだけではなく、誰に対してもそうでした。
人が見ていると焦ってミスをする(一人で落ち着いてやるとそうでもない)。
「わからない・知らない」と言えない(「知らない」と言うと、母は「そんなことも知らないのか!」と罵ります。自分も知らないのに、です)
人のちょっとした「不機嫌な様子」に異常に敏感でおろおろしてしまう。
少しでも拒否されていると感じると(事実とは関係なく)、自分から人間関係をリセットしてしまう。
50を過ぎて「これは性格が原因ではないのでは?」と疑い始めてから、少しずつ「人が傍にいること」に慣れるように意識しました。そうしたら、段々と人前でもミスが少なくなって行きました。
人と会話するときも相手に合わすばかりではなく、自分の自然体を出すようにしました。「自分を出すこと」をずっと恐れていたのですが、そうしても別に、人との関係性は悪くなりませんでした。
知らないこと・わからないことを「わからない」と言っても誰も怒りません。
世の中の人々は概ね親切で温かく、私を批判したり嫌味を言ったり人格を否定するような人はいなかったのです。
私の人生は50歳から始まったのだと思います。
母に人生の大半を潰された悔しさはあります。でもそれを悔やんでも仕方がない。
このブログで毒を吐きつつ、これからの人生を楽しく生きる。母が私にしたことなんて、母の記憶と共にさっさと忘れる。
それが唯一、私にできる「しかえし」だと思います。
私は決して「できない子」でも「ダメな子」でもなかった。それは母が私にかけた「呪い」だったんだと、今はっきりとそう思います。
無慈悲にかけられた呪いを、やっと少しだけ解けた気がします。