毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

毒親に共通するもの、それは…

 

毒親はみな似ている

 

毒親ブログを書いている人はたくさんいらっしゃる。

 

どの人の毒親さんも、うちの毒親とそっくりなんだな、びっくりするほど。

 

手が出るのかどうかの違いはあるけれど、言ってることやしていることは、気持ちが悪いほどそっくりなんだ。

 

そして傍にいる「父」が、ただの傍観者であることも…そっくりだ。

 

共通点は

 

そんなそっくりさんな毒親には共通点がある。

 

「客観性がない」

 

これに尽きるのではないだろうか。

 

毒親はたいてい「自己中心的」な人間だ。

 

それも「客観性がないから自己中心的でいられる」とも言える。

 

もし自分を含めた「その場」を空から俯瞰的(客観的)に眺めることができたなら、自分がどれだけおかしなことをしているかがわかるはずなんだ。

 

ところが毒親には客観性がないので自分しか見えない。

 

「見ない」んじゃなくて「見えない」んだ。

 

これは毒親の他の特徴にも言えることだと思う。

 

人の気持ちがわからない

自分の非を認めない

謝らない

他責である

話を聞かない

話が通じない

癇癪を起す

暴言を吐く

 

すべて、客観性がないがために起こるのではないだろうか?

 

暗闇の中にいる気の毒な人

 

不適切な表現かもしれないが、

毒親」とは、目が見えず、耳も聞こえず、その不自由を補う術も知らず、無音で真っ暗闇の世界の中にいて、「自分の心の中にいる自分」、つまり自分の虚構にだけスポットが当たって見えている、そんな状態なのではないだろうか。

 

「客観視できない人の世界」とはこういう感じなんじゃないかと思う。非常に怖い世界だ。

 

だから毒親はたいてい、不安で自信がなく、外の世界ではおどおどしている(ただし店の店員や役人などには大柄な態度をとるが)。

 

逆に、去っていかないと高を括っている家族にだけ、幼児のような傲慢で我儘な態度を取り続ける。

 

気の毒と言えばそうなんだけど、振り回される家族はたまったものではないのだ。

 

毒親は成長しない

 

毒親には「成長」がない。

 

それは「反省できない」からだ。

 

反省は客観的視点からしか生まれない。

 

自分はなぜ失敗したのかと自分を顧み、他人と比べ、自分の態度や言動を見直し、次はどうしたら上手くいくのかを見出す。

 

そしてそれを順々に試していく。「試しては見直す」を繰り返すことで、人は成長するのだと思う。

 

しかしそもそも反省できない、自分を振り返ることができない毒親は、その一連の作業が全くできない。

 

だから毒親は常に「他責」で、自分が変わることはないのだ。

 

遺伝なのか?

 

こういう能力は、教えてどうこうなるものではない。

 

一般的には、年齢が上がるにつれて、自然と獲得していく能力なのだと思う。

 

ところが毒親になる人は、何らかの原因でその配線が切れているのであろう。

 

そしてその原因は「生まれつき」の可能性が大きいのではないだろうか。

 

そう考えると、毒親とは不遇な人だと思う。

 

家族に嫌がられ、憎まれ、でもその原因が自分ではさっぱりわからないんだ。「原因はこれだよ」と教えられても、理解できない。

 

だから相手が悪いと怒ることしかできないんだよ。

 

こんな不幸なことってある?

 

逃げ去ること以外、どうにもしてあげられない家族だって不幸だよ。

 

もう何度も何度も書いているけど、

なんでこんな厄介な遺伝子が、この世界に生き残っているんだろうか?

 

自然って、残酷だよね。