バカ臭で満ち溢れる家
子どもの頃からずっと思っていたことがある。
母は私に「バカ」になってほしいのかな?って。
母は普段から「できなくてもいい」「できなくて普通や」と、できないことを言い訳するようなことばかり言う人だ。
逆に、できる人は悪く言う。
普段は無言でやり過ごしているが、たまに「そうかなぁ…」と続けると、「はいはい、あんたは賢い! 私はアホや、それでいいんやろ!」と切れられる。
母は一緒に、バカ話で盛り上がってほしんだね。
感情的に騒いだり悪口を言ったり、野次馬になったり、ワイドショーやエセ科学の話題で盛り上がったり(本気で信じているからね)
これを「共感する」って言うんだろうか…
「共感する」って辛いな。
「できない人過剰擁護」は大嫌い
家の中が「バカ臭」でいっぱいだったので、私は世の中の「できない人過剰擁護」が嫌いだった。
「できない人過剰擁護」は、勉強でも運動でも何でも、「できない人」を”過剰に”擁護しようとする風潮のことです。
「できなくてもいいんだよ」
「できないのが普通だよね」
「できる人は我慢して配慮しろ」
「できることをひけらかすな、自慢するな」
と言う感じのことです。
つまり母お得意の発言です。
ドラえもんも好きじゃなかったし、ちびまるこちゃんも嫌いだった。金八先生も好きじゃない。
1970年代から80年代にかけて、TVを中心に世の中は「できない人過剰擁護」の全盛期だったから、それで私はTVが嫌いになったのかもなぁ。
その前時代の「スポコンアニメ」の方がずっと好きだったな。逆境に挑み、努力するって素敵じゃないか?
せめて学校(小・中)くらいはまともであってほしかったけど、学校もやっぱり「できない人過剰擁護」で満ち溢れていた、当時の学校はね。
でも家の中が普通なら、それでもいいのだと思う。
中和されて丁度いい感じになるんだろう。だからTV番組は、今でもそのように作られているんだと思う。
でもわが実家のように家の中まで「バカ」で溢れ、「バカであること」を暗に強要される環境だと、何がまともなのかわからなくなるんだよ。
勉強を頑張ったり、正しいことをしようとしたり、そういう「まっとうに成長したい」という気持ちの行き場がなくなるんだ。
常識を伝えられない親っているんだよ
世の中の仕組みを考えるような偉い人は、親は全員まともな人だと思っているんだろうね。
子どもに勉強をしろと言ったり、できるだけ大きい会社に入ってしっかり働けと言ったり、挨拶や行儀作法をちゃんとしろとか、そういう事をうるさく言うような「普通の人」だと思っているんだろうな。
でも違うんですよ。
その真逆のことを言う親もいるんですよ。
だからせめて公立の学校くらいは、世の中の真実を教えたほうが良いと思うのよ。
勉強は頑張ったほうが得だし、大きな会社に入ったほうが何かと有利だし、挨拶や行儀作法ができていないと大恥をかくどころか、まともな人間だと思ってもらえない。
ドラゴン桜じゃないけれど、世の中ってそういうもんだよ。
そういう当たり前のことを全く伝えられない親もいるってことを、否定する親がいるってことを、偉い人は知ったほうがいいよ。
子どもの将来を決めるのはお金じゃない
子どもの将来を決めるのは、親の経済力よりも「情報と思想」なんだと思う。
世の中の仕組を知ったうえで、どこに向かって進むべきなのかがわかっていること。
これが大事なんだ。そこさえ間違っていなければ、最悪お金の問題は何とかなる。
親がそういうことを伝えられない場合、子供が自力で知る頃には、ほぼ将来が決まっている年齢だったりするんだ。
親ガチャって、こういう事なんだよ。
子どもの邪魔はするが、利になることは与えられない。
まったく、嫌になるね。
*2000年頃から、公立の学校の雰囲気も変わったよね。しんどくなる子もいるかもしれないけど、基本的には良いことだと思う。