相手が「常識的な付き合い」ができない場合、その役割はすべてこちらに回ってくる。
その結果、一緒にいる間中、ひたすら気を遣わねばならないから、やたらとエネルギーを消耗する。
癇癪を起さないように、嫌な話題にならないように、話す内容や言い方を考慮する。
気を遣うような場所に行くときは、あらかじめシュミレーションをし、母がおかしな行動をとらないように誘導する。
そこまで気を遣っていても不測の事態は突然起こる。そうなると、母の失礼な発言や態度の後始末という役割も加わる。
でも最も腹立たしいのは、そうやって気を遣っていること自体に母が切れることだ。
「そんなことしなくてもいい!」と。
じゃあもう勝手にやってくれ、だ。私は同行しないし、一緒にもいたくない。
そうやって母から距離を置いて、私のイライラもすこし減った。
先日母から「旅行に行きたい」と言われた。お供をせよ、である。
もちろん断った。あたりまえだ。
「私は旅行は好きじゃないから行きたくない。団体旅行で行けば?」
「でもなぁ~」とぐずぐず言っているが、行きたくないと言っている人間にしつこく誘ってくるその神経も理解できない。
ある意味、おめでたい人である。