毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

母と私は、生きるための基本的ルールが違う

体は正直

 

ストレスって正直だなと思う。

 

母からの電話が鳴るたびに、心臓がバクバクする。

母からのラインが入るたびに、軽く眩暈がする。

母親に1日付き添うだけで、異常な肩こりになる。

 

「体に不調が現れる」というかたちで、私は母親を拒否してるんだと思う。過去のことは水に流そう、寄り添おうと思っても、細胞単位でそれを拒否してるんだな

 

そう思うと、人間って、細胞が拒否しない相手としか付き合えないんだな。異質な相手とは無理なんだ。

 

人付き合いの作法が違う

 

人間関係の作法って、人の種類によって全く違う。

 

私は、できるだけ相手を傷つけないように、ある程度気を使って付き合うのが作法だと思っているけど、母は違う。

 

「そんなこと考えていたら、何も言えなくなるし、何もできなくなる」と母は言う。

 

自分も相手も、なんでも思った通り言ったらいい。それで気に障ったのなら言い返せばいい、と。要するに「なんでも言う」→「揉める」→「元通り」を繰り返すんだね。

 

昭和の臭いプンプン? 「三丁目の夕日」の世界っぽい? 

 

だからあの映画、好きじゃないんだよね。何がそんなに良いのか、懐かしいのか、全くわからない。

 

したがって、母の”類は友を”の友達の対応はこんな感じになる。

 

①嫌なこと(怒鳴り散らされるレベル)を言われると、ほかの類友たちにその人の悪口を言って回って溜飲を下げる(もちろんその場でも盛大に言い返す)。

 

②一週間から一か月ほど無視する。

 

③相手が機嫌を取ってきたら元通り

 

こんな感じなので、始終、誰かの悪口を言い合い、数日後には「あの悪口はなんだったの?」と思うほどあっさりと元に戻る、を繰り返している。

 

人間関係とはこうしたものだ、と言えばそうなのかもしれない。

 

でも私は嫌だな。もっと落ち着いたお付き合いがしたいよ。

 

基本的ルールの相違

 

母と私は、生きていくルールーが違うんだと思う。

 

人間関係の作法も、善悪の基準も、生きる目的も、理想とするものも、何もかもが違いすぎる。

 

合うわけないんだな。

 

ほんとに、細胞が拒否するような人間がなぜ自分の親になってしまったのか。

 

まぁ、その逆もありなんでね。なんでこんなに自分と違う人間が私の子どもなのか?と、母も思っただろうな。

 

そういえば母は私に「なんでそんなことするんだ?」「なんでそんな言い方するんだ?」ってよく言ってたな。

 

大抵それは、挨拶とか人対応についてのことで、母はたとえお隣さんでも、自分と親しくない人には挨拶しない人なので、つまりはそういう感じのことが多かった。

 

他人にものを頼むときにも、「すみませんが、お願いできますか?」なんて言うのも我慢できないらしい。

 

私が「常識だ」と思うことは、母の「非常識」なんだね。

 

親子でなんでこんなに違うのか、ほんとに、不幸な出会いをしたもんだ。