こんな差別的で時代に逆行するような話題をわざわざ書くことなかろうと思うが、親と距離をとった後でも、なんだか心がモヤモヤするのはこの為ではないかと、つい書いてしまった。
これも「毒親育ちの後遺症」なのかもしれない。
こんな私だけど、精神障害や脳の機能障害を一括りにして語るのは良くない事だとわかっている。
障害に対する理解を否定したり拒否したりしてはいけないことも、重々承知している。
それでも毒親の元で育った私としては、どうしても手放しに「その通りだね」と思えないのである。
脳の機能障害や人格障害、精神疾患を持つ人々が、その苦しさや理解の必要性を、動画やブログを通じて訴えておられる。
そういうものを見るにつけ、「その通りだね」と思う自分と、「でもね…」と思う自分がいるのだ。
そして、「でもね…」と思う自分がどんどん大きくなって、心がモヤモヤし、苦しくなるのである
それはすなわち、私が子供時代に味わった苦しさや辛さを、母に障害があったとわかった瞬間、すべて「なかったこと」にされてしまうのではないか、そんな気がするからなんだ。
「障害だったんだから仕方ないじゃないか、理解しろよ、対応しろよ」
そんな風に聞こえるんだ。…相当に歪んでいるね、私の認知。
人はそれぞれ違うように、同じ障害を持っていてもその表れ方は千差万別、症状が”似ている”というだけで「同じ」ではない。
(障害認定されていないが)母のように、他人に毒を吐きまくる人もいれば、内向して鬱になる人もいるのだと思う。暴力的な人もいれば、穏やかな人もいるのだと思う。
そういう私だって、かなり発達グレーなところがある。本当は人のことを言えた義理ではないのだ。
わかりたいと思う反面、わかってなるものか!という反発心がある。ものすごくある。
やっぱり私の認知、歪んでるよね。