親戚に1人、外国籍の人がいる。母も当然それを知っている。
にもかかわらず、その人がいる席でお国の悪口を言ったりする。「○○さんの前だけど言うわな」と断ったと言うが、断ったから良いというものではないだろう?
またある時は関東地方出身だと言う人の前で、「関東の人は「肉」と言えば「豚肉」ならしいね、関西は「牛肉」しか肉と言わない。やっぱり食は関西の方が贅沢や」と言ったらしい…(本当にそう言われているのかはわからない)
なぜわざわざ、そんなことを言う必要があるんだろうか?
母には「言わない」と言う選択肢はないんだろうか?
しかもその後長々と、豚肉をこき下ろすようなことを言い続けたらしい。
豚肉が好きでも、牛肉が好きでも、どっちでもいいじゃないか。どちらが上なんてないだろう?
そんなことにも上下をつけようとする、その根性がわなからない。一体なんの拘りなんだ。
人とか物とか何かを見ると、自分の勝手な連想ゲームが頭の中に浮かんでくるんだろう。そしてその連想したことを言わずにはいられないんだろうな。
その上そこには「勝った・負けた」が入ってくるんだ。
その発言で、どれだけ場の空気が凍り付こうと関係ないんだ。自分がすっきりするためには知ったことではないのだろう。
人に苦笑いの苦を与えておきながら、数日後にはそんなこともすっかり忘れるんだよ。自分のお寒いセリフも、きれいさっぱり忘れる。そして「そんなことを言った覚えはない」と言うんだよね。
この人にとって世界は自分が「すっきりするため」にあるんだろうと思うよ。
ストレス玉を誰かに投げつけるために、その標的として人は存在していると思っているかのようだ。