前回にも引用させて頂いたブログ、
『ずっと健常者だと思っていたら実は知的障害者だった人が綴るブログ』
読めば読むほど、
やはり母には、知的な問題があったのではないか?
という疑惑が濃くなっていく。
それにしても、
私はなぜこんなにも、母の問題にこだわってしまうのだろう?
私を悩ませた母は、もうこの世にはいない。
母がどうだったかなんて、もうどうでもいいではないか?
メンクリの先生にも、そう言われた。
でも私は、
どうでもいいとは、どうしても思えない。
母は何が原因でああだったのか。
それがわからない事には、一歩も進めないのである。
しかし同時に怖くもある。
母の原因が分かれば、
私は多分、遺伝の問題が心配になるだろう。
知らなかったとはいえ、
子どもに申し訳ないとか思ってしまう。
子どもの子どもに発現したらどうしよう、などと考えてしまう。
そうやって私は毎日、
心配の種を自ら育て、自分を苦しめ追い詰めている。
そんなことはもうやめたい、
でもやめられない。
まるでMのようだ…