こんなブログに出会った。
(断りもなく勝手に引用することをお許しください)
境界知能と発達障害をもつ「のん」さん。
自身の身の上に起こったこと、
障害に対する思いや考えを綴った、興味深い内容だ。
このページを読んで、
何とも言えない複雑な気分になった。
長期記憶が弱いがために、
習ったことも覚えたことも、
日にちが経てば、きれいさっぱり忘れてしまう。
そのため他人から、
常識のない人、何も習ってこなかった人と思われてしまう。
何と言うこと…
のんさんは、
知的障害がなければ、
もっと違う選択肢があった、もっと違う未来があったと嘆く。
そうだろうと思う。
のんさんは挑戦しようとした。
努力もした。
でも、どうしてもできない。
他の人がなんなく出来ることが、のんさんには出来ない。
そうして諦めた道が、無数にあるのだろうと思う。
複雑な気分になる。
とても辛い。
私の母は未診断だったけれど、
「何か」ある人だったと思っている。
一つの可能性として、
発達障害、あるいは境界知能を疑っている。
併発していたのではないか、とも思う。
のんさんのブログを読んでいて、
母ものんさんと同じように、
覚えられない、
理解できないことに、苦しんだのかもしれない。
知能が低いことから起こるあらゆる不都合と、
自分自身をコントロールできないことに、悩んだのかもしれない。
でもダメだ、やっぱりダメなんだ。
他人なら冷静になれる。
でも自分の親は無理だ。
のんさんが「なぜ私なの?(なぜ私は知的障害者なの?)」と嘆くように、
「なぜ私の親なの?」と嘆いてしまう。
「なぜ私の親は『普通の人』じゃなかったの?」と憤ってしまうんだ。
のんさんの幸福を願うのも、私の本当の思い。
そして母の存在を恨むのも、私の本当の思い。
あの母の遺伝子を受け継いでいる私。
あの母に育てられた私。
そんな私が、立派な人間であるはずがない。
そう思ってしまうくやしさと辛さ。
あの母との「血のつながり」が恨めしい。
私の中にいる母の残像が恐ろしい。
自分の行動や言動のふとした瞬間に、
「母もこうだった」と思い出す。
その一瞬に寒気がする。
そして、自分が嫌いになるんだ。