先日、またもや実家の庭の整理をしていると、「こんにちは」と高齢の男性から声をかけられた。聞いてみると、住宅地の古くからの住人で、亡くなった両親とは知り合いだったと言う。
しばらく立ち話をしていると、
「お母さんは大人しい人だったから…」というセリフが聞こえた。
「は? あの母が大人しい?」と、私は思わず聞き返してしまった。
「あの母と”大人しい”という言葉がどうにも結びつかない」と言うと、「そりゃあ、他人と家族とじゃあ、言い方も扱い方も違うでしょう?」と言う。
私はなんだか頭がふらふらした。
分かっていたことだが、あの母はやっぱり、言う相手を選んでいたんだな。
こいつなら言っても大丈夫、そう思う相手だけを攻撃していたんだ。
なんて卑怯な人間なんだと、改めて思った。
毒母は昔から権威に弱い人間だった。
「先生」と名の付く職業の人には借りてきた猫のようで、伝えなくてはならない事さえ、モジモジして言えない様子だった。
小学校の頃から、担任に保護者が伝えるような事まで、子どもに言わせたりしていた。(連絡帳や手紙で伝えるのも無い→ちゃんとした文章が書けないせいもある)
病院などに付き添った時なども、「代わりに言ってくれないかなぁ…」と言いたげにこちらをチラ見する様子は、普段の攻撃的な態度を思うと気持ちが悪かった。
そのくせ、役所の人や店員、バスやタクシーの運転手、介護士や看護師など、絶対に反撃できないような立場の人には、気分が悪くなるほど高圧的な態度を取っていた。その言動は、まるで異常者のようだった。
話を戻すと、
件の高齢男性と母とは、絵画教室で一緒だったらしい。
教室の中では大人しくしていたんだ、へぇ~、ふ~ん、である。
やはりあの攻撃性は「特性」からくるものではなく、「性格の悪さ」が原因だったんだろうな。そして、○○なら攻撃してもいいんだという強烈な「認知の歪み」。
母の知り合いだったと言う人に会うとメンタル打撃が大きいので、もうできるだけ会いたくない。いろいろ思い出したくないのだ。
その元凶となっている実家をできるだけ早く売却したいと思う、今日この頃である。