2020年に起きた「宝塚ボーガン殺人事件」。
20代の長男が、母、弟、祖母、叔母の4人をボーガンで殺傷した事件だ。
被告人に対してのあれこれや事件に対する感想には言及しないとして、
私は記事の中にあった「表題の言葉」が引っかかったのだ。
『(母親は)つたないながらも(子供たちの為に)一生懸命やっていた』
これは被害にあった叔母が裁判で証言した言葉である。
この言葉を見て思った。
世間一般の評価としてはそうなるんだろうな…と。
いわゆる「模範解答」。
でも私は思うのだ。
カップ麺の上に白ご飯を乗せた「夕飯」が、「つたないながらも一生懸命」になるんだろうか?
子ども達の仲裁もできない、歪んだ愛情表現しか示せないのも、「つたないながらも一生懸命」なんだろうか?
被告人の母親には境界知能と発達障害(ASD)があったようだ。
弟にはADHD、被告人にもASDの傾向があり、読んでいると祖母もどこか普通じゃない気がする。
被告人の両親が離婚をする際、父親は母親に「お前に子育てができるわけがない」と言い放ち親権を争ったらしいのだが、その結果、なぜこの母親に親権が渡ったのか謎である。
こういう家庭内の異常って、それがどれほど過酷かってことが、経験した者にしか分からないんだと思う。
親が普通でないことがどれだけ子どもを傷つけ、不利な状況に追いやるのか、経験者でないと分からない。分からないから「つたないながらも一生懸命やってた」などと言えるのだろうと思う。
幼い子どもにとって、親はすべてである。
生きていくに必要な「一般常識」は、親の行動や言動から学ぶものだからだ。
ところがそのお手本となる親が普通でないと、学べないどころか「間違った常識」が入り込んでしまうことだってある。結果、子どもは悩まなくてよい事で悩み、苦しまなくても良い事で苦しむことになるのだ。
こういうことを言うと、すぐに「差別だ」と言われる。
それが差別なら、変な親の元で苦しむ子どもの不利益はどうなるのだろうか? そんな親のもとで暮らしたくない権利、そんな親の子どもであり続けたくない権利はどうなるんだろうか?
社会は徹底的にほったらかしにしているが、それに言及しないのは何故なんだろうか? 親の(大人の)自由は保障され擁護されるが、子どもの権利や保護は後回しにされる。大人の権利の為に後回しにされるのだ。