毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

『毒親』と『核家族』の問題

わが実家の毒親問題を解決するには、

家の中にたったひとり、

良識のある、

落ち着いた対応の出来る「大人の人」が必要だった。

 

父親がいるじゃないか?と思うかもしれないが、

父親というものは、

最初は配偶者の「おかしさ」を制止していても、

そのうち段々と配偶者寄りになってくるというか、

「もういいっか…」という感じになってしまいがちなのだ。

 

だから、

「両親」以外の大人の関りが、

毒親家庭には必要だと思うのである。

 

母は祖母から、

「あんたは舅姑との同居は絶対にできない」と、

常日頃から言われていたらしい。

母の気性を考えると、それも当然な意見だと思う。

 

でも子どもの立場としては、

実の親や、舅なり姑なりがいてくれた方が良かった。

但しその親や舅姑は、

何度も言うように”大人”でなくてはならないが。

 

「お母さんの暴言はくしゃみと同じ、気にすることないよ」と言ってくれたなら、どれほど心が落ち着いただろう。

「○○ちゃんはいい子だよ、大丈夫だよ」と言ってくれたなら、どれだけ私は救われただろう。

 

別に母を注意したりしなくてもいい。

ただ母の暴言のフォローをしてくれれば、

私は十分幸せだったのではないかと思うのだ。

 

核家族の問題は昔からあれこれ言われているが、

毒親」のいる家庭では、更に問題になると思う。

 

舅姑の気性にもよるが、

核家族」というものは親にとっては楽かもしれないが、

子どもにとっては過酷な環境になる可能性もある。

 

家に居る大人が「親」しかいない環境では、

親からのインパクトが強くなり過ぎるからだ。

 

緩衝材が全くない状態でダイレクトに攻撃されるのは、

子どもにとって「過酷な環境」と言わざるを得ない。

特に、親に何らかの問題がある場合は、

そのインパクトは何倍にも膨らんでしまう。

 

攻撃だけではない。

子どもが受け取る価値観や倫理観にも影響するだろう。

 

しかし今の時代、

子どもが大勢の大人の中で暮らすことは現実的ではない。

 

実際にできることは、

家庭以外の居場所を増やすことだろうか。

 

保育所や学校、学童保育や習い事。

専門職の大人が付いていて、安全に過ごせる場所。

 

2026年から始まる『こども誰でも通園制度』

 

とても良い政策だと思う。

月10時間程度と時間的には少ないが、

ないよりは全然ましで、今後に向けて拡大していってほしいと思う。

 

親が就労していようとしていまいと、

子どもは誰でも保育園に行く権利がある。

家庭から離れる権利があるのだ。

 

家庭は素晴らしいとか、

親子の絆とか、

そんなきれいごとばかり並べるどこかの誰か達に負けずに、

子どもの居場所をどんどん増やしてあげてほしいと願っている。