毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

「人と違う」=「孤独」ってことなんだ

 

先日自死されたバイカー・Kさんのことが、何日たっても頭から離れない。

会ったこともないのに、なんでかなぁ…

 

ここで僕の旅は終わり

もう苦しみたく無いし悩みたくも無い

 

Kさんの最後のツイート、

なんて悲しい言葉なんだろう…

 

毎日、ツイートを遡って見ている。

 

所々に「来世では…」という言葉がある。

今となっては「そういう意味だったのか…」と切なくなる。

 

歌詞が好きだと書いてあったミスチルの「fantasy」。

 

<略>

「出来ないことはない」「どこへだって行ける」
「つまずいても また立ち上がれる」

いわゆるそんな希望を 勘違いを 嘘を
IDカードに記して行こう

<略>

 

Mr.Children fantasy 歌詞

 

曲を流しながら過去ツイートを見ていると、

自然と涙がでる。

 

「出来ないことはない」「どこへだって行ける」
「つまずいても また立ち上がれる」

 

そうだよね、そんなのは「希望」で「勘違い」で「嘘」だよね。

言うのは美しいけど、実際にはそこまで気力がもたないよね。

 

私はずっと、人と感覚が違う事が辛かった。

幼稚園から大学まで、学校を「楽しい」と思ったことは一度もない。

いつも周りに「同化」することでヘトヘトになっていた。

 

私が気になることは誰も気にしない。

私が気にならないことは、周りの人は気にする。

 

面白いと思うこと、関心のあること、なにもかもが違う。

どこにも仲間がいないと思い詰めた小中学校時代。

 

自分がものすごくダメなような気がして、消えてしまいたくなっていた。

私のゼロ百思考、完璧主義が追い打ちをかけた。

 

そのうち「消えてしまいたい」と思うことがしんどくて、

全部終わりにしたくなった。

 

思い返してみれば子どもの頃からずっと、

消えてしまう事ばかり考えて生きてきたように思う。

 

消える…

 

それは自死とはちょっと違う。

 

ある日目が覚めたら、

自分がこの世の中からすっと消えていたらいいのになぁ…

そういう気持ち。

 

全部終わりにしてしまえば、この苦しさも一緒に消すことができる。

いつもそう思っていた。

 

「人と違う」ってことを、世間はカッコよく言いすぎなんだ。

 

人と違うって、それは「孤独」とイコールなんだよね。

 

誰にもわかってもらえない、気持ちを共有できない孤独。

 

「人と違う」って、実際にはとても辛いんだよ。

 

苦しみの内容は人それぞれ。

だからKさんがどんな苦しみや悩みを抱えていたのかはわからない。

 

苦しさを吐露したり愚痴を漏らすような文章はなかったから、

それが何なのかは誰にもわからない。

 

でもKさんの残した笑顔の中に、

自分の苦しさを見るから辛くなる。

 

Kさんのことがこんなに悲しいのは、

彼には他に方法がなかったってことだ。

 

この世から消えることしか解決方法がなかったってことが、

途方もなく辛いんだ。