毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

「人を信用しているか?」という問い

 

先日子ども(21歳♂️)と「人を信用しているか?」という話をした。

 

どういう流れでそんな話になったかは忘れたけど、何故だかその問いに行きついた。

 

私は「基本的に、人間というものを信用していない」と言った。

 

「人は自分の利益の為なら人を裏切る、切捨てる。私はそうとしか思えなくなっている。悲しいことだけどね。」

 

それに対して子どもは、「自分は人を信用しているし、基本的に良い人が多いと思っている。」と言った。

 

それを聞いた時、「この子は大丈夫だ、良かった」と心の底から安堵した。

 

人を信用できない人は、人を愛せない。

人を愛することができない人は、自分も愛せない。

それは寂しいことだし、不幸なことだと思う。

 

子供がそうでなくてよかった…

 

そう思った、というだけの話。

 

 

遺伝子に悪意を感じる…

 

いつも母親のことをあれこれと書いているが、

正直言うと、

私もその遺伝子を引き継いでいると思うことが多々ある。

 

遺伝というのは非情だ…

 

あんた、実はこんなだよ? とすぐそばで見せつけられるんだから、悪魔の所業としか思えない。

 

「親を尊敬できる」って言える人が羨ましい。

尊敬できる人が傍にいるなら、自分はその人の後を追えばいい。

真似をすればいい。

 

お手本があるって、なんてすごい事なんだろうと思う。

 

私は「赤毛のアン」のアニメが大好きなんだけど、その中に「ジョーシー・パイ」っていう口の悪い女の子がいた。

アンの同級生の。

 

ある日、リンド夫人だったかなぁ…

「パイ家の人間はみんなあんな風だ(口が悪く皮肉屋)」というセリフがあった。

 

その時は何も思わなかったけど、今思うとそういうことなんだよね。

その家系は「みんなあんなふう」なんだよ。

 

夫婦は血が繋がってないので関係ないが、子供はどことなく「あんなふう」なんだろうなと思う。

 

夫婦のどちらに似ているかによって違うんだろうけど、「その要素が全くない」ってことはないんじゃないか?

 

そう考えると空恐ろしい。

 

人と話をするのは楽しいし、もっと人と関わりたいと思うけど、知らず知らずのうちに人を傷つけたり、酷いことを言ってたりするんじゃないかと思うと怖い。あの人と同じことをしてるんじゃないかと思うと怖い。

 

誰にも会わずに閉じこもっていれば、そんな心配をしなくて済む。

だから、働く以外は、ほとんど閉じこもり状態…

 

親がとんでもないって…呪いよね…

 

毒親の子育てには助っ人が必要

 

うちの母のように、子育てに向かない人が子育てするには、強力な助っ人が必要だと思う。

 

一番候補は母の母なんだが、

残念なことにこの母方の祖母も「ヤバい人」なので、あまり頼りにはならない。しかも疲れやすい人だったので、体力的にも子育ての助っ人は無理。

 

結果、恐ろしいことに、母は独りで子育てをすることになる。

 

前にも何度か書いたが、母は元々「子ども」が好きではない。

 

自分の子でも他の子でも、子どもに対する気遣いとか優しさというものがない。子どもにくっつかれるのも嫌がるし、一緒に遊ぶのも得意ではない。

孫(私の子)の場合も、父が子煩悩な人だったので、父のすることに付いて遊ぶ、と言う感じだった。

 

だから母と二人っきりになると「遊んでもらう」という状況にはならない。

母は母で好きなことをしているし、私は私で違うことをしていて、同じ空間にはいるが関わりがないのだ。

 

それは子どもが病気やケガをした時でも同じだった。

 

私は幼い頃の記憶が残っている方なんだが、母に看病された記憶が全くない。

 

4歳の時に交通事故に遭って自宅療養していたことがあるのだが、その時でも、ほとんど一人で寝かされていた記憶しかない。

 

事故の加害者の人がお菓子の詰め合わせを持ってきてくれたことを覚えているが(お菓子の種類まで覚えている)、母の姿は記憶にない。

 

事故は、私が道に飛び出して車に当たったのだけど、それも半分は母の責任ともいえるものだった。

 

当時住んでいた家の横には二車線の道路があって、昔のことだから今のようにブンブン車が行きかうのではないけど、そこそこ交通量のある道だった。

その道路の向こう側で、母は毎日のように近所の主婦たちの井戸端会議に参加していた。

 

事故があった日、私は洗車をしてる父の横で遊んでした。そして何か思ったのだろう、母親の方に行こうとして、その道路を渡ったのだ。

 

「親が道路の反対側にいると、子どもが飛び出すかもしれないので危ない」というのは子育て中の常識みたいなものだと思うが、母にはそういう「常識」がないので、子どもがいようといまいと、自分のしたいようにする。

 

自分が悪かったのではないか、などとは1ミリも思わない人なので、事故の時も、「父親がちゃんと見ていないからだと」盛大に喚いたそうだ。

 

子育てに向かない人は、家にいないで働いた方が良い。

働いたお金で、子どもの事は外注した方がい良い。

 

いつも同じ空間にいながら構ってもらえず、それどころか暴言や冷たい態度を取られるくらいなら、いっそいない方がましだと思う。

 

自分にできないのなら、一日に数時間でもいいからプロに頼んで、大人との温かい時間を与えてあげたほうがいい。

 

母のように、「私は嫌だったけど仕方がなかった」と言って、子供を産み育てた人は尚更である。

 

っというか、

嫌なんだったら産まなかったらよかったよね? と思うわ、ほんと。

 

 

基本的なことができていないまま歳を取った母

 

幼児園児向けの「おやくそくえほん」。

花まる学習会代表の高濱正伸氏のしつけ絵本です。

 

 

これ、齢80になる毒母は、未だに一つもできません。

 

副題に「『メシが食える大人』になるための土台として」とありますが、複雑なものを感じます。

 

脱いだ靴は揃えられないし、質問にも答えられない。

 

人の名前はいつもあやふや。よほどの知り合いしか覚えていない。

 

嫌いな食べ物どころか、お初の物は一切拒否。 その上、食材や郷土料理に悪口言います。自分が食べられないことに腹が立つのでしょうか?

 

*いつも「不機嫌」です。

 

用事があれば呼びつけます。

 

友達を応援できません。裏で無茶苦茶言ってます。失敗したり不幸になると嬉しそうです。

 

*毒母が「自分を好きでいる」ために、周りの者は病むほど傷つきます。

 

*そして「〇〇ちゃんだって」と言わない

 

うちの毒母の会話は、このセリフでできていると言っても過言ではない。

子どもに対しても言います。何かを指摘すると「○○(私)だって、できてないじゃないか!」と平気で言います。その同じ口で「私は母親や! 年長者や!」とわめきます。

 

「42の習慣」だからまだまだあるのでしょうけど、毒母にできるものはあるんでしょうか?

 

いやはや、できない事はできないんだろうけど、改めて「大変な人だなぁ…」と思ったツイートでした。

 

 

最終回です 問題は複雑で茨の道…

 

 

何かが未搭載

 

こうやって書いていると、母もかわいそうな人だと思う。

 

人が普通にしていることができない。

何度言われてもできない。

できないどころか、周りの些細な言動に反応して攻撃的になってしまい、周りの人を深く傷つけてしまう。

 

そうしたものすべてをマルっと解決できるような何かが、生まれつき搭載されていないんだろう。そもそもエンジンがないんだから、できるわけがないのだ。

 

しかし常に人から「何故できないんだ」と言われる。

しかもそれは「いつ、何を、どうする」と、はっきり言葉で教えられるものではないので、お互いに困惑するだけなんだろう。

 

共生への道は茨の道

 

こうして考えてみると、脳機能障害のある人と共に生活をし、あるいは共に働くことは非常に難しいと感じる。

 

インクルーシブ、共生。

 

言葉で言うのは簡単なことだが、実際に行っていくのは専門家ではない、普通の一般の個人である。

 

障害をもっている人が、訓練の末にどこまで歩み寄ることができるのか、定型発達と言われる個人が、どこまで承知し我慢し受け入れることができるか。

 

障害の特性だと承知していても、無意識の暴言や嫌味、突発的な癇癪を聞き流し、「何故できない、何故してくれない」という思いを封印するのは、大変な努力が必要であろうと思う。

 

「共生」は誰にでも等しくできることではない。

 

人選を考えずに行えば、高い確率で軋轢が生じると思う。

美しい理想は、互いに病むだけの結果に終わるかもしれない。

 

800万通りの生きづらさ

 

平成28年文科省調査によると、医師から発達障害と診断された人は48万1千人。「診断された人」だから、実際にはもっと多いと思う。

 

全国公立小中学校での調査によると、発達障害の可能性があるとされる児童生徒の割合は6.3~6.5%。これを単純に日本の人口に当てはめてみると、約800万人となる。

 

この800万人の人をどうするのか?

 

自ら命を絶つまでほおっておくのか。

毒親」となり、子どもを痛めつけてしまうのをただ見ているのか。

 

様々な対策や支援はなされていて、昔に比べれば雲泥の差に進展していると思うが、上手く機能しているのかどうかは、まだまだこれからなんだろうと思う。

 

様々な理由で働くことが難しい人、生活が上手くいかない人が責められることなく、自由にその人のまま生きていくにはどうしたらいいだろうか?

 

解決への道は茨の道

 

自分と母との関係を振り返ってみると、それがいかに難しく困難なことかがわかる。

でもそのために命を落とす若者の存在を知ると、心の底から絶望感でいっぱいになるのだ。

 

この気持ちはどちらも本当で、嘘ではない。

それだけ複雑な問題という事なんだ。

 

また続きです ☆どこかずれている母の行動☆

 

私が大人になってから、何度か一緒に父の実家に行ったことがある。

そこで母のすることを見ていると、やはりちょっとずれているように感じた。

 

なんて言うのかなぁ…「既婚の女性が夫の実家でするようなこと」と言ったらいいのだろうか…、そういうことはできず、自分が気になったことはやろうとするから、何もしないより余計に面倒なことになったりする。

 

例えばある時、父の実家の座布団カバーが少し汚れていたことがあった。それは、しばらく洗濯をしてなのかな? という汚れだった。

 

臭いがするとか、触るのも嫌と言うほどでもなかったし、しかもそれは祖父が使っているものなのだから、別にそのままにしておいても問題はなかった。

 

しかし母は、祖父がいない間にその座布団カバーをとって洗濯を始めたのだ。その座布団カバーだけを。

 

義理の実家とはいえ人の家なんだから、せめて「洗濯しておきますね」などと断りを入れたほうがいいんじゃないかと思うが、それもなく勝手にやってしまう。

 

母は「汚い・臭い」が我慢できない人だから、その時に感じた「汚い!」という不快感を抑えることができなかったのではないかと思う。

 

そんなふうに母は自分が気になったことしかやらないし、一旦気になったことは「しないで見過ごす」という事もできない。

 

たとえ見過ごすことができたとしても、自分の不快感を悪口・嫌味で解消しようとするから、周りの者はたまらんのだ。

 

こういう母の行動を見ていると「ずれてるなぁ…」と思うんだけど、本人はいつも、すごく良いことをしたと思ってる。

 

だから感情のギャップが生まれて、益々変な感じになるんだろうと思う。

 

前回の続きです ☆若い頃から不愛想だった母☆

そんな「ちょっとヤバい感じ」の家系に生まれたのが、我が毒母である。

 

母は学校の勉強ができなかったようで、義務教育が終わると社会に出ることになった。

 

最初の職は小さな会社の事務員で、要するに「お茶くみ」だ。

 

ところが母には「愛想」というものが全くない。

機転も利かないし気も利かないので、「お茶くみ業」には全く向かない人だ。

案の定、お客さんから「もう少し愛想よくしたらどうか!」と叱られることが多かったらしい。

 

自分には向かないと、1年足らずで転職することになった。

 

しかし次の職場でも同じように「もう少し愛想よく対応できないのか?!」と注意を受けることが多かったようだ。

 

しかし職場事態は居心地が良かったようで、ここで10年近く働くことになる。そして20代の半ばで父と見合い結婚。同郷という事で、親戚の紹介だったらしい。

 

しかし、父の実家にあいさつに行ったときにひと悶着起きる。

母は「挨拶」ができないからだ。

 

父の実家は結構な田舎にある。

人の移動はほとんどなく、周りはみな昔からの知り合いばかりで、親戚みたいなものだ。

そういう地域では「愛想」が最も重要な要素だったりする。

 

母は周りの事に何も気が付かない人なので、畑仕事をしている近隣住民が、手を止めてこちらを見ていることに気が付かない。

 

気が付けば、にっこり微笑んで会釈すればいいのだが、母にはそんなことはできないし、そもそも気が付きさえしない。

 

結果「あの家の嫁は無視をする!」という事になる。

父や父の両親からも注意を受けるが、何度言われても、できないものはできない。

 

できないのは挨拶だけではない。

気が利かないから、人の世話もできないしお茶の一つも入れない。

座ったら座ったまんま、周りの人があれこれ動いているのをただ見ているだけ。

「手伝いましょうか?」の一言もない。

 

愛想はないし挨拶もできない上に、口を開けば要らぬことを言う。

そして、じっと座ったまんま不愛想だ。

 

私が10歳の時に一番大きな離婚騒ぎがおきたのだが、父の親は「離婚してもいい」と言ったそうだ。

当時の親は離婚を思いとどまるように言うものだったが、そうしなかった祖父の気持ちも何となくわかる。きっと最初から不満があったんだろうなと思う。

 

義理の親や田舎のご近所さんから全く歓迎されなかったからか、母はずっと父の親と田舎を嫌っていた。子どもの前でも、父の前でも、平気で義理の親と田舎の悪口を言っていた。

 

祖父は私たち孫には優しかったので、母が口汚く罵るのを聞くのは本当にいやだった。横で黙っている父も気の毒に思って、尚更居たたまれなくなっていた。