毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

自分のルーツとか、血縁者のヤバい感じとか

 

母方の、そのまた母方の父は元々は侍の家系だったが、明治維新で没落(?)したのだろう、何がどうなってかわからないが、山奥で妻子と共に細々と暮らしていたそうだ。

 

最初からその道を選んだのか、最終的にそうなったのかは分からないが、「山奥でひっそりと」って辺りに、ちょっと「ヤバい感じ」がする。

 

その私のひい爺さんが亡くなった時も、「ある村人の復讐に会ったんじゃないか?」みたいな噂が立ったらしく、しかも死を悟ったひい爺さんが助けを求めたのは、遠い遠い場所に住んでいた旧友で、近くにいる「近隣の村人」ではなかったあたり、周りに好かれていた感は見られない。

 

そのひい爺さんの娘が私の祖母で、前にも書いたが、その祖母も結構ヤバい人だった。

 

・時間の管理が全くできない

・整理整頓ができない

・他人の悪口・愚痴が尋常でない

・要領が悪く手が遅い

 

町内会の集まりで「あなたは来なくても良い」とわれるくらいが手が遅く、要領の悪さが原因だろうと思われる。

 

子どもの制服をしまった場所が分からず家捜し、

子どものお弁当が間に合わず、しかも何度も繰り返す、

いつも家の中を走り回っている(家事のために)とか。

 

聞いているだけでも「この人ヤバいよね」と思う。

 

その配偶者、つまり母の父もどこか抜けている人だったようだ。

 

同僚の連帯保証人になろうとしたり、妻の了解も得ずに娘を養子に出そうとしたり、戦時中の惨事を事も無げにあっけらかんと話したり、「衝動性」や「考えのなさ」、「想像力の欠如」なんじゃないかと思う。お世辞にも「頭の良い人」とは言えない。

 

こんな二人だから、結婚後の経済状況は…まぁ予想通りというか…貧乏だった。

 

働き盛りの頃に戦争があったのは不幸だったと思う。

 

爺さんは戦争から帰ってきて人が変わったと聞いたから、私にはわからない苦労があったんだろうと思う。戦後は、非常に無気力で、覇気のない人になってしまったようだ。

 

貧乏で覇気がない、今日が楽しければそれでいいじゃないかという雰囲気の家庭で育った子供たち(母とその兄弟)は、全員、学校の成績が悪かった。

 

それが生まれつきのものなのか、環境に恵まれなかったからなのかは不明だが、「全員」ってとこに「生まれつき」を感じてしまう。

 

近所の人や親戚から褒められることはなく、むしろバカにされていたようだから(母談)、これまた「ヤバい感じ」がする。

 

母は「うちが貧乏やったからバカにされた」と言っているが、貧乏なだけでバカにはされないんじゃないか? 

 

人をバカにするのって、文字通り「この人はアホだな…」と思った時ではないだろうか?

 

確かに貧乏だったんだろうけど、今日明日の米にも困るってほどでもないし、子ども達にボロを着せていたわけでもない。父の稼ぎが悪くて子だくさんで、だから裕福ではなかった、と言う感じだったんだと思う。

 

だから「貧乏」だけが、バカにされた原因ではないと思うんだけど。

 

母の話を聞いていると、「…これはバカにされるだろうなぁ…」と妙に納得してしまうことがたくさんある。

 

端から見ているとそれが良くわかるんだが、本人だけがわかってない。そんな感じがする。

 

あぁ…なんだか書いていてうんざりするなぁ…

「なんなんだよ、この家系は」って思ってくる。

 

でもねぇ…こうやって自分のルーツを書いていると、そして「なんなんだよ!」とか思っていると、「あぁ、私も、彼らを苦しめている一人なんだな…」と思って辛くなる。

 

辛くなるんだよねぇ…

 

 

 

激しい夫婦喧嘩を「コミュニケーションだ」という毒母

 

以前、あなた(毒母)は我が子に言ったよね?

 

「わたしらのあれは喧嘩やない。お互いのコミュニケーションで、話し合いなんや!」

 

もうね、

呆れてものが言えんよ。

 

うちの両親は私が幼いころから、罵り合いの大喧嘩を幾度となく繰り返してきた。

その際、「なぜ娘が母親の味方をしないのか!」と怒鳴られたこともある。

 

 

毒母よ、知ってるか?

幼い子どもにも、心ってもんがあるんだよ。

 

父の言っていたことを、間違っているとは思えない。

だけど、父のかたを持つと、あなたは発狂するだろ?

 

だからと言って、あなたの味方にもなれないんだよ。

 

あなたの言ってることは、子どもでもわかるくらい変だし、それにあなたの味方をすると父がかわいそうだろ?

 

そういう後先のことを、たとえ幼い子供でも考えるんだよ。

いろいろ察して、感じるんだよ。

 

「なんで私の味方をしないんだ! 子供は普通、母親の味方をするんもんや!」そう言って子どもを責めた毒母。

 

「昔そういう事言ったよね」と言う私に、私が大っ嫌いなセリフを放った。

 

「なんでやろ?と思ったから訊いただけや!」

 

あなたはいつもこれを言う。

 

何でやろ?と思ったから訊いた、そんな言い方ではなかったよね。明らかに責めてたよね。

 

でもそう言うと「こせこせと細かいことを言う、うるさい!!」と発狂するんだよね…

 

父ともよく、こういう事で揉めてたよね。

 

こんなことを思い出すのも、今日またラインが入っていたから。

 

この間まで、「家を売る、独り暮らしにも飽きた!」とラインで騒いだ毒母。

 

「それなら家を売ってホームに入ってはどうですか」と返したら、「○○もできるし、△△もできるから、独り暮らしがまだまだできる」としきりに言ってくるようになった。

 

完璧な「かまってちゃん」だな。

 

毒母が普通の親なら、もっと気にかけるよ。

もっと頻繁に通って、寂しくないようにするよ。

これまでだってそうしてきたし、そうしようと努力をしたつもりだ。

 

でもさ、もう嫌なんだよ。

「もう~いや~~!!!!」って気持ちになってしまったんだ。

 

拒絶反応を起こすんだよ。

 

きっと、毒母は地球人ではないんだろうな…

どこかの星からやってきた宇宙人なんだろう…

 

だってここまで話が通じないんだから、もはや地球人ではないんだろうさ。

地球人の皮を被った宇宙人なんだよ、きっと。

 

 

毒母には、人としての「理想」がない

 

もう何度も書いているけど、毒親ってなぜあんなに「自己アピール」「勝つこと」に拘るのか?

 

家族や他人に認められた経験が少ないせいか、やたらと自分を押し出してくる。しかも常に戦闘態勢で、「話し合いで解決する」という言葉はないようだ。

 

「大きな声を出したもん勝ち」と毒母よく言っていた。

 

あなたは”〇〇ざ”ですか、と思うよ。

いつも「やるかやられるか」という感じなんだろうな。

 

誰に対しても同じならまだしも、相手を選んでやっているから不快な気分になる。社会的に権威のある人に対しては、急に”借りてきた猫状態”になるんだよ。その態度の変わりように、いつも唖然とさせられる。

 

「相手を見て態度を変えんと」と言う毒母。

 

それはそうなんだが、明らかに反撃できない立場の人だとわかっていて、いちゃもんのような攻撃するのは卑怯ではないのか? 人としてどうかと思うよ。

 

そうなんだ…毒母は「人としてどうか」という感覚がないんだよ。

 

できるできないは別として、人として正しくありたいとか、誠実でありたいとか、そういう理想が皆無なんだよ。

 

あれはなぜなんだろうか? 

元々の性格なのか、育った環境が悪いのか。

 

臨機応変に対応することは大事だけど、あそこまで態度が露骨だと、見ている方が恥ずかしくなる。

 

客観視できない人だから、その態度が改善されることはないんだ。

 

自分がどれだけカッコの悪い事をしているのかを客観的に見ることができないから、平気でカッコの悪い事ができるんだろう。

 

そしてそのことを指摘されても、「それは格好の悪い事じゃない」と本気で思っているから、というか、比較する術を持たないから、いつまでたってもそのままなんだ。

 

これもいつも書いている事なんだけど、始末に負えないクレーマーって、こういう人がなるんだろうなと思う。話してわかる相手ではないので、諦めて気が収まるのを待つしかない。

 

迷惑な人だなぁ…

 

 

平穏な毎日に、波を立てないでほしいんだよ

 

母の言動は、私を不安にさせたり不愉快な気分にさせたり、静かに平穏に暮しているところに波を立て、私の心をぶち壊す。

 

ぶち壊された気分は、なかなか元には戻らない。

何日もかけて、それなりに努力が要るんだよ。

 

しかし「やっと戻った」と思った頃に、また暴言を投下していく。

 

ほんとうにもう、やめてほしい。

 

こちらからは明らかに連絡を絶っているのに、相変わらずつまらない用事でラインをしてくる。しかも、いちいち気に障るような言い方をする。

 

「もう連絡しないからね」とはっきり言っても、分かっているのかいないのか、状況はあまり変わらない。

 

自分に都合が悪い事は、耳に入らないんだろうか?

 

でも分かったらわかったで、面倒なことになったりする。

 

1ミリも察することができない人なので、「なんでそんなことを言うんだ!」と発狂して根掘り葉掘り理由を聞こうとするが、こちらの言っている事の意味を理解することはない。

 

あの人と関わっていると、こちらは振り回されることばっかり。

 

「不安定」という言葉が最も似合う人…

 

もうほっておいてほしい、関わってこないでほしいよ。

 

 

それ、嫌がらせですか? 母の言葉に無意識の悪意を感じる

 

最近になって、母はやたらと「家を売ろうかと思う」と言うようになった。

 

売った後どうするのかは、たぶん何も考えていない。老人ホームに入るのは嫌だといていたが、気が変わったのだろうか。

 

母が「売る売る」と言っているのは、私が遺産分与でもらうことになっている不動産だ。

 

売ってしまえば私の取り分は「ほぼゼロ」となるが、そのことをわかって言ってるんだろうか? わかって言っているのなら、それは私に対する「嫌がらせ」ですか?

 

兄弟は駅近の住宅地に家を新築してもらっているので、それが相続分となる。

私がもらうのは、車がないと生活できないような田舎の、傾きかけた古い木造住宅。売っても二束三文にしかならない(そもそも買い手がない)。

 

非常に不公平だと思うが、もうあの頃の事(兄弟のために家を建てたこと)は思い出したくない。

 

あれも母が突然言い出し、相談という名の結果報告を聞かされ、トントン拍子で進んでいった。

 

親が自分たちのお金ですることなのでどうでもいいのだが、「兄弟の家を建てる」ことをなぜ私に嬉々として語るのか、本当に意味不明だった。

 

そして最近になって「家を売る」と、しきりに言ってくるのだ。

 

一体どういうつもりなんだろうかと思う。

 

自分が言っている事が、相手にどう聞こえるのか、

相手をどんな気持ちにさせるのか、

なぜそれを考えることができないんだろうか。

 

できないんだろうとわかっていても、非常に不愉快な気分になるのだ。

 

家を売って、その分で老人ホームに入ってくれるんだったらそれでもいいかと思う。

しかし母はそこまで考えてはいない。

 

家を売ることがどれだけ大変か、

引っ越しや荷物の整理は一体だれがやるのか、

そんなことは全く考えずに、思い付きでものを言っているのだ。

 

あまりに腹が立つので、

「後の始末を考えて言ってますか?」とラインで返事をした。

 

もっと思慮深い母親だったらなぁ…と思う…

 

 

独り暮らしの不便さを訴える母

 

 

母親から数日に一度、ラインが入る。

 

数日に一度なんだから無視しておけばいいのだが、母親からラインが入っていると分かった瞬間から、気分が重く暗くなるので困る。

 

母のラインには、たいてい「一人暮らしの不便さ」が綴られている。

 

「今日、こんなことがあった。一人暮らしはこんな時に困るわ」

 

前半の内容は変わるけど、後半の文言はいつも同じだ

 

これを他人に言うならまだしも、いちいち子供に送り付けてくるのは「嫌味」としか思えないんだけど…私の勘違いか?

 

以前一度だけ、同居の話が出たことがあった。

 

母親が病気を患ってすぐの頃で、毎日車で通うのも疲れるので、しばらくの間ならいいかとその時は思ったのだ(今考えると「バカだなぁ~」なんだけど)。

 

先ずは通いで実家に行って、病院の送り迎え、買い物の同伴などをしてみたが、半月ほどで決裂した。

 

あまりに嫌味を連発するので、「そういうことは言わないで!」と言ったところ、切れられた。

 

それは「もう、うんざりや!」という怒号から始まった。

 

「私は年長者や!」

「母親に対する態度じゃない!」

「お前は私をバカにしている!」

などなど、思いついた罵声を言うわ言うわ、…もう唖然。

 

母は「話し合い」などと言う上品な行為ができる人ではないので、切れてわめくか、必要以上に相手に合わせた結果、ストレスで切れてわめくかのどちらかしかできない。

 

どっちにしても切れるんだけどね。

 

そんなことが2度あって、私は母を見限った。

 

1度目はこちらが折れた。

「言いすぎた」と、私の方から連絡を取った。

 

2度目もこちらが折れた。

どうしても会わなくてはならない用事があって、連絡をした。

 

でも3度目はない。

近しく付き合うと、また同じことが繰り返されるだけだ。

 

用事のやり取りはしているが、こちらの都合をやりくりしてまで母に付き合う気はない。

 

先日、すぐには駆けつけられない場所に引っ越しをした。家族の都合なんだけど、1年ほどいる予定だ。

 

母には引っ越しの数日前に連絡をした。

 

「家族(夫や子供)に振り回されているんじゃないか」

「その間に、私がどうにかなるかもしれんで」と言われた。

 

「お母さんのことは心配しないでもいいよ」なんて愁傷な言葉は、きっと一生聞くことはないな、と思った。

 

 

「人と違う」=「孤独」ってことなんだ

 

先日自死されたバイカー・Kさんのことが、何日たっても頭から離れない。

会ったこともないのに、なんでかなぁ…

 

ここで僕の旅は終わり

もう苦しみたく無いし悩みたくも無い

 

Kさんの最後のツイート、

なんて悲しい言葉なんだろう…

 

毎日、ツイートを遡って見ている。

 

所々に「来世では…」という言葉がある。

今となっては「そういう意味だったのか…」と切なくなる。

 

歌詞が好きだと書いてあったミスチルの「fantasy」。

 

<略>

「出来ないことはない」「どこへだって行ける」
「つまずいても また立ち上がれる」

いわゆるそんな希望を 勘違いを 嘘を
IDカードに記して行こう

<略>

 

Mr.Children fantasy 歌詞

 

曲を流しながら過去ツイートを見ていると、

自然と涙がでる。

 

「出来ないことはない」「どこへだって行ける」
「つまずいても また立ち上がれる」

 

そうだよね、そんなのは「希望」で「勘違い」で「嘘」だよね。

言うのは美しいけど、実際にはそこまで気力がもたないよね。

 

私はずっと、人と感覚が違う事が辛かった。

幼稚園から大学まで、学校を「楽しい」と思ったことは一度もない。

いつも周りに「同化」することでヘトヘトになっていた。

 

私が気になることは誰も気にしない。

私が気にならないことは、周りの人は気にする。

 

面白いと思うこと、関心のあること、なにもかもが違う。

どこにも仲間がいないと思い詰めた小中学校時代。

 

自分がものすごくダメなような気がして、消えてしまいたくなっていた。

私のゼロ百思考、完璧主義が追い打ちをかけた。

 

そのうち「消えてしまいたい」と思うことがしんどくて、

全部終わりにしたくなった。

 

思い返してみれば子どもの頃からずっと、

消えてしまう事ばかり考えて生きてきたように思う。

 

消える…

 

それは自死とはちょっと違う。

 

ある日目が覚めたら、

自分がこの世の中からすっと消えていたらいいのになぁ…

そういう気持ち。

 

全部終わりにしてしまえば、この苦しさも一緒に消すことができる。

いつもそう思っていた。

 

「人と違う」ってことを、世間はカッコよく言いすぎなんだ。

 

人と違うって、それは「孤独」とイコールなんだよね。

 

誰にもわかってもらえない、気持ちを共有できない孤独。

 

「人と違う」って、実際にはとても辛いんだよ。

 

苦しみの内容は人それぞれ。

だからKさんがどんな苦しみや悩みを抱えていたのかはわからない。

 

苦しさを吐露したり愚痴を漏らすような文章はなかったから、

それが何なのかは誰にもわからない。

 

でもKさんの残した笑顔の中に、

自分の苦しさを見るから辛くなる。

 

Kさんのことがこんなに悲しいのは、

彼には他に方法がなかったってことだ。

 

この世から消えることしか解決方法がなかったってことが、

途方もなく辛いんだ。