毒親育ちの毒親考察

私の母は何かがおかしい

通じないし覚えてもいないなんて、こんな虚しいことがあるだろうか

 

母の会話の話、まだまだ続く。

 

私は母と深い付き合いはできないが、子どもは私とは別なので、孫として親しく付き合ってくれても全然かまわない。

 

この話は子どもにも母にも、これまでに何度も話している。

 

でもやっぱり通じてない。

 

私が母のことをどう思っているか、親として愛着は持っているという話も、これまでに何度もしている。決して嫌な内容ではなくて、真剣に話したこともある。

 

でもやっぱり通じてないんだよね。

通じてないどころか、覚えてもいない。

 

なんでこんなに通じないんだろう?

なんでこんな真剣な話を、こうもあっさり忘れてしまうんだろう?

 

私にはどうしても理解できないんだ。

 

記憶の容量が極端に少ない人がいるってことは知っている。

理解力が低い人がいることも知っている。

 

でも自分の親がそうである場合、真剣な話や大事な話をどうやって分かってもらえばいいんだろうか?

 

それともわかってもらおうと思うことが、そもそも無理なことなんだろうか。

 

何にも通じないって、とても虚しい。

何をどう話そうとも、ひとつもわかってもらえないのって辛いよ。

 

しかも全部忘れてしまうんだからね。

諦めるしかないんだろうな。

 

 

 

母の会話の特徴

 

ここ何回か母の会話についてばかりになっているが、

何回も書いてしまうほど、母の会話は特徴的なんだ。

 

誰もが知っていることを知らない(びっくりするほど知らない)。

話の対象を深堀できないし繋げない

勝手な解釈をして会話が取っ散らかる

自分の事に話を持って行ってしまう

そして「もうこの人と話をしたくない」と思わせる第一位の理由が、この後に書くこと。

 

私「車で来たけど、道が混んでいて時間がかかったわ~」

母「なんでそんなに道が混むんや! ほんまに腹が立つわ!」と怒り出す。

 

一般的な会話なら、「今日はお彼岸だからお墓参りで混むのかな?」とか「今の時期、工事が多いからねぇ」とか、何か混む理由を挙げて話をつなげると思うんだけど、母はそういうことができない。

 

できないだけならまだしも、こちらがちょっとでも「不満そうなこと」を言うと、言った本人以上に怒り出すから不思議だ。

 

しかも怒っておしまいだから、会話はそこでブッツリと切れる。

これはかなり後味が悪い。

 

世の中でよく言われる「いわゆるコミュ障」は、本当のコミュ障ではないと思う。

それはただ会話が上手くないだけで、相手に害を及ぼすことはないんじゃないか?

 

本物のコミュ障とは、母のような人を言うのだと思う。

 

話が正しく伝わらず、膨らまず、続かず、

相手を不愉快な気分にさせ、時には激怒させてしまう。

しかも自分の「思い違い」を吹聴して回る。

 

これ以上の「コミュ障」があるだろうか。

最強なのではないか?

 

しかし本人は、この現実に気が付いていない。

まさか自分がコミュ障だとは、努々思っていない様子だ。

 

母は自分の「不出来」な部分を思って、「私ってなぜ○○ができないんだろう?」と悩むことがない人だ。

 

自分が○○ができないのは△△(他人とか家族とか環境とか)が悪いからで、自分の責任ではないと思うか、そもそも○○なんてできないくてもいいんだ、と開き直るかのどちらだ。

 

だからいつまでたっても、何かが改善されるとか良くなっていくことはない。

 

会話についても同じで、自分が気分良く話ができないのは相手がツンケンしているからだとか、こちらに話題を合わせてくれないからだと思う人なんだ。

 

どうやったらそんな身勝手なことを考えられるのか不思議なんだけど、でもねぇ…よくよく考えてみると、果たしてこの人と会話する意味なんてあるんだろうか?

 

 

何も知らなすぎる 

 

うちの母は「あなたは一体、何を知っているんですか?」と聞きたくなるくらい、何も知らない。

 

別に、難しいことを知らないって話じゃない。

簡単な物の名前を知らないんだ。

 

例えば、

母は「ルイヴィトン」を知らない。

 

別にブランド物に興味がなくても、有名なブランド名なんだから名前くらいは知ってると思うんだけど、母は知らないんだ。

 

松下、シャープ(昔のしろもの家電)以外の企業名もほとんど知らないし、病気の名称とか有名な学校とか、とにかく「誰でも知ってるもの」をほとんど知らないんだ。

 

なんでなんだろうね?

 

長いこと生きてるんだから、きっと一度は耳にしてると思う。

でも覚えてないか、興味のない事は聞いてないのか、なにかそんな所なんだろうか。

 

母との会話が続かない理由の一つが、この「あまりに何も知らない」ことなんだ。

自分が知らないことには関心がないので、「へぇ~」の一言で終わってしまうから、全く話が膨らまない。

 

母が唯一知っているのは、好きな「旅行」に関することだけ。

行った場所の地名や名所、そういうことはかろうじて覚えている。

 

興味の偏りがあるのか、関心のないことは覚えられないのか…

 

何かわからないけど、

何でもまんべんなく知っているって、コミュニケーションにとっては大事なことだと思う。

 

 

毒母との会話は「会話」にならない

毒母との会話は、はっきり言ってつまらない。

どんな話題を投げかけても、すぐさま「自分の話」に持っていかれるからだ。

 

例えば、

「最近、こんなん作ってんのよ、結構楽しいよ」

と言ったとする。

普通なら、

「へぇ~、どんなんか見せて?」とか

「どうやって作るの?」とか、

私の言った内容に対して「興味を持ったような」返しをすると思う。

 

互いに意見の交換をしたり、感想を言い合ったり、そんなふうに会話は膨らんでいくと思う。

 

ところが毒母は違う。

「へぇ~、私も最近○○始めてん、見てくれる?」となる。

 

どんな話でも大概こうで、すぐさま自分の話に持っていかれて私の話はどこかに消えてしまうんだ。

 

話が深まっていくのならまだいい。

でもそれもなく、ただ自分のしたことを見せて紹介して終わりなんだ。

 

もっと最悪なのは、たまたま同じことをしていた時だ。

面白いくらい、露骨にいやな顔をするときがある。

 

母は不器用なので、何をやっても大して上手くない。

だからどうしても、他の人がしたものの方が上手なんだ。

それがわかっているのか、実に不機嫌な顔をするんだな。

 

会話のピンポンができないのは、結構しんどい。

 

こちらはたとえ話を持っていかれたとしても、興味ありげに話を合わせようとしてしまう。するといつまでも相手の話ばっかりになってしまう。しかもそこから得るものはほとんどない。

 

これが延々と続くのは正直キツイ。虚しいというか…面白くないんだよね。

 

話が全く膨らまないって、会話する意味がないよね。

私は「無料のカウンセラー」じゃないんだからさ、と思ってしまう。

 

 

何も伝わらない虚しさ

 

うちの毒母は「聞いているけど聞いていない」ことが良くある。

 

人の言うことをフンフンと聞いているんだけど、相手が何を言っているのか、何を言いたいのかをわかってないような気がする。

 

人の考えとか思いとか、そういうジャンルのことが理解できないのか、それともすぐに忘れてしまうのか。

 

いくらこちらが説明しても何も情報が更新されてなくて、たとえ一時的に更新されても、母の頭に元からあった考えが、何故だか再び上書きされている感じ…というのかな?

 

それはまるで、往年のドリフターズのコントみたいなんだ。

 

加藤茶の若者が一所懸命に説明するも、志村けんの爺さんは「で、おめぇは○○がやりたいんだろ?」と同じことを繰り返し言う。

 

ほぼほぼ、あんな感じ。あれが数日後、数か月後に起こるんだ。

 

物凄く不思議な現象なんだけど、あれっていったい何なの?

モリーの容量がないの?

理解力が低いの?

聴覚処理能力に障害でもあるの?

 

わからないんだったら聞き返すとか確認するとかすればいいのに、それは絶対にしないんだ。さもわかったように聞き流し、結局何もわかってないんだ。

 

結果的には自分の都合の良いように考えて、それを「本当だ」と思い込んでしまうから困るんだよ。

 

父ともずっと「言った、言わない」で喧嘩してたなぁ…

 

母の「そんなことを言った覚えはない」は全く当てにならない。

そのセリフが出た時は高い確率で「言ってる」し、「○○はこうだ」と言う情報も本当かどうかわからないことが多い。

 

「頭の中を見てみたいわ!」である。本当に理解不能な人だ。

 

 

自分に都合が良い事しか考えない

 

最近うちの毒母は「痴呆症の老母の面倒を見る息子」のyoutubeにはまっているようだ。

 

その息子さんは仕事を辞めて、母親の介護に専念している。

痴呆症の母親は息子にさんざん悪態をつく。

しかし息子は老母の言うことを聞き流し、穏やかに対応しているらしい。

 

毒母はそんな息子の対応を「偉い」とほめちぎる。つまり自分もこんな風にされたいと言いたいのだ。

 

確かに偉いと思うよ。

 

でもね、あなたは自分の子どもにこんなことをさせたいの? 

これを見てどう思うの?

 

仕事を辞めて家の中で老母と二人っきり。

一日中目が離せない生活。それをみてどう思うの?

 

毒母はいつも、自分に都合がいい事しか考えない。

 

自分が介護する側だった年齢では「介護なんて家族ができることではない」と言っていた。それが逆の立場になった途端「親の面倒をみないなんて!」となるのだ。

 

自分が暴言嫌味の嵐でも、この息子のように聞き流し穏やかに対応してほしいのだ。

 

とんでもない話だ。

子どもは毒母の「心地よさ」の為にいるのではない。

 

寝言は寝て言ってもらいたいものだ。

 

 

「弱者」について

 

弱者とは

 

 

貧困についての本を読んだとき、若者の就職支援を扱ったドキュメンタリーを見た時、そこに出てくる支援者は同じことを言っていた。

 

「どれだけ力を尽くしても、最後には裏切られることが多い」と。

 

確かにドキュメンタリーに出ていた青年は、見ていてだんだん腹が立ってくるような人だった。

 

就職先を斡旋してもらったにも関わらず、仕事の途中で「しんどいわぁ~」と床に座り込み、朝も当然のように遅刻してくる。身だしなみもいまいちで、靴の紐はべらべらのまま、持ってこいと言われたものも忘れてくる。

 

それでも青年は決して謝らない。

なぜそうなったかという、言い訳としか聞こえない弁解を繰り返す。

 

その職場は青年の希望や特性を考慮して紹介されたもので、決して支援者側が勝手に決めた場所ではない。にもかかわらず、青年は不平不満の嵐。

 

「やる気あんのか!」と怒鳴りたくなる。

この人は一体どうしたいんだろうか、このままでいいと思っているんだろうかと見放したくなるんだ。

 

頑張れない人々

 

「ケーキの切れない非行少年たち」でも書かれていたけれど、彼はどうしても「頑張れない」んだろうなと思う。

 

頑張りたいけど、心から頑張ろうと思うけど、結果的に頑張れないから、そこにそうしているんだろうと思う。

 

しかしその「見た目の不真面目な姿」に、周りからはあきれ果てられ、嫌われ、見放される。本人の本意に反して。

 

…なんて残酷なんだと思うよ。

 

「努力」と「我慢」

 

昔はなんでも「本人の努力」「親の育て方」の問題にされた。

 

でも世の中「必死の努力」を必要とするものなんて、実際にはそんなにないんだよ。

 

普通の人が普通にしていたら、そこそこ快適に暮らせるように作ってある。学校も職場も家庭も、社会全体のシステムがそうなっているんだ。

 

じゃあ昔はなぜあんなに「努力しろ」とか「我慢しろ」と言ったのか?

 

それはきっと、当時は脳機能障害なんて概念がなかったから、どうしてもできない人々を何とかするために苦し紛れにそう言ったのではないだろうかと思うんだ。

 

そしてそれでもできない人々は「自己責任」を理由に見捨てる。

見捨てるための詭弁として、「親の育て方が悪い」と言ったのではないだろうか。

 

愛情問題にされてきた

 

これって、つい最近までそうだった。

 

家族問題、学校や子ども問題のほとんどは「親や大人の愛情の問題」とされていたからね。問題のある子どもや親の、脳そのものに原因があるとは言われてなかったんだ。

 

今、それらの本を読んでみると、「これって単に脳機能障害が原因じゃないの?」と思うものがたくさんある。

 

だって、親の育て方で子供がそこまで変わるんだったら、恐ろしくて素人の親に子育てなんて任せてられないよ。

 

普通の親や子供であれば、それほど何もしないでも上手く回っていく。

ところがどちらかに(あるいは両方に)問題があれば、途端におかしな方向に流れていくんだ。

 

統計的には、親の関わりは「負」の時に影響を及ぼすそうだ。

暴力やネグレクトなどの虐待は、子どもの人格形成に影響するということだ。

しかしそうでない場合は、明らかな相関性はないと言う。

 

毒親も弱者

 

よくよく考えてみれば、毒親」と呼ばれる人々も「弱者」だと思うんだ。

 

暴言や暴力、理解不能な行動をとってしまう。

その結果、激怒され、敬遠され、嫌われる。

あまりの腹立たしさから、助けようという気さえ起こらない。

 

そうして深まった溝は、修復不可能なほど広がったままだ。

そしてその溝を埋めるためには、毒親ではなく、周りの人間が尽力するしかないんだ。

 

しかし毒親本人は、反省もなければ協力する気もない(ように見える)。

それで周りの人間は余計に精神を消耗し、疲弊し、見捨てたくなるんだよ。

 

親や子供が「普通」の範疇にない場合どうするのか、どう支援するのか。

そんなこと、解決するんだろうかと疑問に思うが、何とかしていくしかないよね。

 

知り切れな文章になっってしまったけど…